確か、日本大学が最初に関西学院大学に送った書面には、〝乖離〟という言葉が使われていたかと思います。
指示した監督とその指示を受け取った選手との間には〝乖離〟があった……
昨夜の緊急会見では、この〝乖離〟が〝食い違い〟という言葉に変えられたように思います。
「二人の言い分には〝乖離〟がある」
と言うと、問題になるようなことなどないような客観的な印象を読み手に与えるのではないかと思います。
これを、
「二人の言い分には、〝食い違い〟がある」
と言い換えますと、そこに大きな問題があるのではないかという印象を読み手に与えるように思います。
最初に〝乖離〟という言葉を使用した段階で、客観的に見て監督に非はないということを印象づけようとしたのではないかと、アタクシは思っておりましたが、さて、怪我をさせて自ら退部して名前も明かして記者会見に臨んだ選手の、監督の指示があったという言葉に、
「信じてもらえないかもしれないが、私の指示ではない」
と訴え、それが仮に真実であったとしても、被害を受けた選手のお父様までが、
「加害選手がかわいそう」
とFacebookで発信するほどですから、
「罪を認めろ」
という世間一般の人が求める〝真実〟に抗うことはできません。
《乖離する真実》
というのは、どこででも起こりうることかと思います。
さて、今後、日本大学はどう対応されるのでしょうか……