新幹線で殺傷事件を起こした人物について、いろいろな報道が出ているようです。
ごく簡単に、乱暴な言い方であることを承知の上で、もしかしたら非難されることも覚悟の上で申しますと、
〈社会とのつながり(他者との関係)がうまく構築できなかった〉
〈自尊感情を失っていた〉
ためではないかと思います。
人間が罪を犯さない理由は、
《他者に迷惑をかけたくない》
《大切なものがある》
《自分はそんな人間ではない》
という三つに集約されるそうです。
筒井康隆先生は、自分が人を殺すかもしれない人間だという認識をお持ちだそうですが、自分は罪を犯さない人間だと漠然と思い込んでいるよりも、
〈社会(他者)との関係性〉
と
〈自尊感情〉
のありようによっては、罪を犯す人間になってしまうかもしれないという認識を保持している方が、人間は健全かもしれないと考えますアタクシは、不健全でしょうか……
え?
(そんなんに関係なく不健全!)
ところで、1969年に静岡県で発生した強盗殺人事件で死刑が確定していた袴田さんの第2次再審請求で、東京高等裁判所は再審開始を認めない決定をしたと報じられました。
真偽はともかく、裁くこともまた、罪を犯すかもしれないことでもあるかと思います。
個人的に他者を裁く、言い換えると、一方的に誰かを、例えば罪を犯したとされる誰かを、もしくはその家族や関係者を批判、非難する場合、私たちは罪を犯すかもしれない、犯しているかもしれない、という認識を持つ必要もあるように思いますが、どないでっしゃろ……
え?
(「どないでっしゃろ」てなことで、オチのないことをごまかすな!)
失礼しました。