第159回芥川賞で、ノミネートされた北条裕子さんの『美しい顔』の一部が、資料とされた書籍と似ていたという問題について、〝盗用に当たらない〟ということが選考委員の間で確認され、
《事実の吟味と、自分なりのフィクションとしての表現に昇華する努力が足りなかった》
と選考委員の島田雅彦さんが指摘した、と報じられています。
表現が類似してしまうのは、創作に対する自分の姿勢に問題がある、ということかと思います。
〈他に表現する言葉はないのか?〉
という問いかけを、常に自分に発しているのか、発していたとしても、
〈安易に妥協していないか〉
仮にそこで行き詰まった場合、
〈全体を俯瞰してごこかに無理があるのではないか〉
〈無理を感じたらその原因は何か〉
〈場合によってはもう一度資料を読み直し、プロットの変更を考える〉
あるいは、
〈それまで書いた原稿をすべて捨てて一から書き直す覚悟があるのか〉
作家が本来持つべ覚悟を、突きつけられたように思いました。
え?
(アンタのブログはどうなんや?)
ははははは……