『感動をもらった』
『勇気をもらった』
『元気をもらった』
前から気に入らない言葉です。
ここから、
『人に感動を与えられるような〜(をしたい)(になりたい)』
なんて高慢な言葉も誕生したのではないかと、アタクシ、個人的に思っております。
昔は、こんな言葉、言い方は、少なくともアタクシが若かりしころには、まったく存在しない言葉だったと思います。
ということは、それより以前には、こういう発想はなかったということになるかと思います。
誰かに感動させてももらわないと、無感動な人生を送ってしまう……
誰かに勇気や元気をいただかないと、自分の中から勇気や元気が湧き出てて来ない……
なんてことは、昔はなかったということです。
たとえ戦国時代であっても幕末動乱期であっても敗戦後であっても、みんな自分たちで感動し、勇気を持って元気に生きてきたのに、平和な現代になって、誰かに感動や勇気や元気をもらわないと、自分から何もやろうとしない人ばかりになった、ということなのでしょうか……
《私の行いを見て感動したのは、あなたです》
《私の行動を見て勇気がわいたのは、あなたです》
《私の姿を見て元気になったのは、あなたです》
決して私があなたに何かを与えたからではありません。
これを傍らで聞いていた例の友人が、
「そのとおり! キミを見て感動する人も勇気がわいてくる人も元気になる人もいない!」