〈忖度〉
したという発言が問題(話題)になっています。
ただ、その〈忖度〉は誤った〈忖度〉だったかもしれません。
〈空気を読む〉
ということについて、以前、そんな必要はない、と拙ブログで述べたかと思います。
〈忖度する〉
〈空気を読む〉
てなことを言い換えると、
〈人の顔色をうかがう〉
ということではないかと思います。
ただ、
〈忖度する〉
〈空気を読む〉
には、
〈想像する〉
力が欠かせないのではないかと思いますが、実はそうすると、
〈自由に想像する〉
ことが制約されるのではないかと思います。
いえ、
〈忖度〉
や
〈空気を読む〉
ために
〈想像する〉
と、
〈自由に想像する〉
力を奪ってしまう、つまり、〈忖度〉する人間、〈空気を読む〉人間ほど、自ら〝自由〟を放棄しているのではないかとも思います。
となると、
「忖度しました……」
てなことを自ら口する人は、
「私には自由に想像する力がありません」
〈忖度〉
したことを口にしたらどういう状況になるのか、
〈想像する〉
ことができなかったのではないかと思います。
〈忖度〉
〈空気を読む〉
〈自由に想像する〉
いずれもできないアタクシが言うのもなんでございますが……