カルロス・ゴーン容疑者は、新たな容疑が暴かれて何度逮捕されても否認を続けるばかりか、我が身が潔白であることをネットで流しました。
一度は任意同行を拒んでフランスに帰国した細君は、日本にもどって聴取を受けるようです。
日本ではときどき冤罪が問題になります。
一時、痴漢と間違われてその罪を認めてしまって、ということが社会的な問題になったこともありますが、警察の取り調べのあり方や弁護士のアドバイス(甘言?)に沿ってやってもいない罪を認めるというケースは、まだたくさんあるように思います。
そうした土壌のある日本において、ゴーン被告の、
「法的に問題ない。自分は無実だ」
という主張を貫く姿は、見習わなければならないかもしれません。
でも、そのゴーン容疑者と丁々発止と粘り強くやりあうことは、そのまま日本人の闘う姿を世界に見せているようにも思います。
明治以降、あるいは第二次大戦後、西洋人には引け目を感じていた日本人は、外国人になめられています。
欧米人を社長として迎える日本企業もその例に漏れないかと思いますが、この一件は、
「なめてもうたら、どんなりまへんな」
てなこととを世界に知らしめることになっているかもしれません。
え?
(なってない!)
失礼しました。