ユダヤ人の精神科医、フレデリック・パールズ師が作られた『ゲシュタルトの祈り』という詩を、自ら始めたゲシュタルト療法のワークショップでパールズ師自身が読んでおられたそうです。
これを職場でいただいて、
わたしはあなたの期待に応えるために
生きているわけではないし
あなたはわたしの期待に応えるために
生きているわけではない
というところに魅かれました。
多分、誰かに期待されてそれがストレスになっている方や、誰かに期待されることを望んでいるのに誰にも顧みられていない方、さらには誰かに何かを期待しているのにそれに応えてもらえていないことを悩みとしている方が、たくさんいらっしゃるんだろうと思います。
それで、誰にも期待されずに誰にも期待しないという考え方で心の負荷を軽くしようということかと思いますが、人間が社会的動物であるとしたら、かなり難しいことかもしれません。
他者からの認知があってこそ、わたしの存在意義があるのだ、わたしはこういう人間だと認識できるのではないかと考えますと、〝期待〟を外した己の人生など無に等しいのではないかと感じる人も多いのではないかと思います。
こんなことを例によって例の友人に語りましたら、
「キミの場合、最初から誰にも期待されないことが習慣になっているからねぇ……」
でも、わたしはわたしに〝期待〟しています。
いずれ誰かに認められるのではないかと……
(おい!)