物理学の父と称されるアイザック・ニュートン先生は、
「どうして未来に通ずる大きな業績をあげられたのか」
と問われて、
《私がほかのだれよりも遠くのほうを見ることができたとするならば、それは背の高い巨人の肩の上に立っていたからです》
と答えたそうです。
先日、新聞のコラムにも引用されておりましたが、物理、科学、学術に限らず、この言葉は人生のあらゆる場面で適用できるかと思います。
《一流の小説家は一流の読み手でもある》
という言葉は、古今東西の小説を読み込んでいるからこそ、つまり、先人の作品に多く触れているからこそ、素晴らしい小説が書けるということを意味しています。
音楽然り、美術然り、新製品開発然り、日常生活においても、まさに先人の、たとえば、おばあちゃんの知恵、と昨今取り上げられるようなことを、どれほど多く身につけているか、という点に尽きるのではないかと思います。
ただ、問題は、最小の労力で最大の成果を上げなければならない、という風潮が、世の中に蔓延していることではないかと思います。
背の高い巨人を見つけて、わざわざその肩まで上がろうなどと考えている人はどれほどいらっしゃるでしょうか……
でも、だからそこにチャンスが生まれるようにも思います。
わかっているけど、それを実践していない人が多いからこそ、巨人の肩に上がる価値があると言えます。
ええ、もちろん、アタクシも、〝わかっちゃいるけど組〟の一人なんですけど……