月と弾道ミサイル

今日、11月の最後に、一片の雲さえない、夕闇迫る空に鋭くかかった三日月を見ました。

 

《月も雲間のなきは嫌にて候》

とは、室町時代中期の茶人、村田珠光師の言葉です。

雲一つない状態では、月も嫌気がさすもの。

皓々と輝く満月よりも、雲間から見え隠れする月の方が美しい。

不完全なものに美しさを見出す日本人の精神を象徴する言葉として知られているかと思います。

 

同じ月を使った言葉でも、

「月夜の晩ばかりやないで……」

てな台詞を吐くのは、風雅の心お欠片もない輩と相場が決まっています。

 

「本物の弾道ミサイルが何か、遠からず、非常に近くで見ることになるだろう」

と抜かした国の人々には、もしかしたらそんな風雅な心というものはないのかもしれません。

月よりミサイルばかりを見ていらっしゃるようですから……

 

などと悠長なことをほざいてる場合やないやろ、という緊迫感が本当は欲しいところですが、いくらなんでも、じゃ、うちに来てゆっくり見ていってね、なんてことがあるはずはなく、かと言って本気で飛んでるミサイルを間近で見せてやろうという無茶なことはしないだろう、とたかをくくっていながら、それでも仮にぶっぱなされたとしても、きっと、セーラームーンが、月に代わってお仕置き……

 

ぼか! どす! ごん!