栃木県内の私立小学校で、昨年七月、六年生の担任の教諭がクラスの全員にいじめに関する新聞を読ませて書かせた作文に、男児がいじめの被害に遭っていることを訴える文章を書いたところ、担任教諭は、男児の相談に乗ることなく、
〈そのいたみ、つらさを知っているからこそ、人に優しくなれる〉
などと、赤ペンで感想を書いて、この作文を他の児童の作文と一緒に教室に一週間掲示していたそうです。
学校を休みがちになった男児の親が学校を訪れて、校長ははじめてこの事態を知り、市の教育委員会はこの校長と担当教諭を口頭で厳重注意処分としたそうです。
教諭は、市の教育委員会に、
〈(児童の気持ちに)思いが至らなかった〉
と話したそうです。
〈そのいたみ、つらさを知っているからこそ、人に優しくなれる〉
と書いた先生は、人のいたみを知らない、わからない人間だったということかと思います。
パソコンが扱う能力が欠如する アタクシに、ぱっぱっと説明して、
「これでできるでしょ」
と言わんばかりの御仁に、アタクシはどれほど辛く恥ずかしく情けない思いをさせられたことでしょう……
いじめられている子どものいたさやつらさを、あるいはできない人間の恥ずかしさや情けなさを知らないのに、自分は知っていると誤解している人間は少なくないと思います。
他者のいたみやつらさを知っているつもりの人間……
「少なくとも、アタクシは、そんな人間にはならないよ……」
てなことを例によって例の友人に話しましたら、
「そうだろうね」
と首肯いて、
「ボクは人のいたみがわからない人間だと承知しているから、できないキミの気持ちはわからない。もちろん、それはキミもわかったうえで、話しているんだよね」