『悪の哲学』番外・森鴎外先生

留五郎さんからメールをいただきました。

「柳田先生と色川先生の、背負って行かなければならない罪が哀しい哲学とするなら…… 鴎外が『高瀬舟』で言いたかったのは……」

筑摩書房の『悪の哲学』には掲載されていませんが、森鴎外先生の『高瀬舟』で病弱で自害を試みて死に切れなかった弟の願いに応えてその命を奪った兄は、罪人ではあっても不幸ではなかった……

そんな話を、いずれ留五郎さんとお話しすることになるかと思います。

 

NHK大河ドラマの話から、歴史は、勝者によって書き換えられる、ということが本当なら、歴史に悪名を残した者は、本当は悪人ではなかった言えるのではないのか、てな話は、つい先ほど、弟との間で出ました。

 

今日、伝楽亭で小粋師の『壷算』をうかがいましたが、落語なんだけれど、これも平然と悪を働く奴の話なんだな、なんて思ってしまいました……

 

つづみ嬢の『饅頭こわい』も、悪意を題材にした噺です。

 

考えてみれば、人殺しは出てこないけれど、落語には悪が登場する噺がけっこうあるのではないかと思います。

でも、だからといって背負って生きるようなことは、微塵もありません。

 

もしかしたら、背負って生きている悪人も、現実にも少ないかもしれません……