『悪の哲学』番外編3 女児を保護しなかった担当者……

今朝の、読売新聞、毎日新聞産経新聞のコラムの主題は、神戸市の児童相談署が深夜に助けを求めてきた小学六年生の女子児童を保護しなかったことでした。

 

幸い、無事でありましたから、ニュースとして取り立てて大きく扱われることはありませんでしたが、全国新聞の三紙までがこの問題を取り上げたのは、ここい日本の危うさを感じ取ったためかもしれません。

 

「女子児童が高校生ぐらいに見えた」

とは、どこぞのNPOから派遣されていた担当者の弁明ですが、さあ、こんな言い訳をする人間を、どうして当直なんかにしたのでしょうか……

NPO児童相談所は、再発防止のためにマニュアルの徹底を挙げておられるようですが、果たしてマニュアルのせいなのでしょうか……

人手不足、人材不足、てな現代日本の問題点と考えることもできるかもしれません……

働き方に問題があって、そうした不満がこうした結果を生んだのかもしれません……

最近よく言われる、不寛容な人がこうした仕事に就いていたせいなのかもしれません……

 

昨日の『悪の哲学』で申し上げるなら、明らかに〈怠惰〉という悪徳に属する行いだと思いますが、もしそうなら、誰がやっていても似たような結果になっていたかも……

 

でも、ただ一つ言えるとしたら、昨日のアウグスティヌスのように、女児を保護しなかった担当者は、後悔と自責の念に苛まれているかと思いますが、その思いは、実は単にそうあってほしいというアタクシの希望でしかないかもしれません……