首都圏以外から東京に移り住んだ人々の悩みの一つが、言葉の違いではないかと思います。
自分の故郷の言葉を口にすると、笑われる……
首都圏の言葉、東京の言葉こそ正しい日本語だと言わんばかりの天狗様の前に、もし、ひれ伏してしまっているとしたら、日本の首都が、かつてどこだったか、歴史の授業で習ったことを思い出してください。
「まろは、東夷など、見とうもない……」
あるいは、東京から離れた場所に居住している首都圏の出身者は、言葉の違いに戸惑い、肩身の狭い思いをしているのではないかと思います。
「だってさ、それはさ……」
「お前、なに、ねむたいこと、言うてんねや」
時代が変わり、所が変われば、言葉に対する価値が変わる……
いえ、変えているのは、人間です。
首都圏に住み暮らし、東京の言葉を操る人が、もし、正しい日本語を話していると自負し、首都圏以外の出身者を見下しているとしたら、首都が移転された場合を想像すべきです。
たとえば、東北の復興を図るために、首都が東北のどこかに移されたとしたら、たちまち東北弁が日本を代表する言葉になり、東京の言葉を口にしてこれまで他者を見下していた人は、今度は見下されることになるかもしれません。
「なに、おめえ、東北の言葉が話せねってか……」
もっと視野を広げれば、日本語などはアジアの中の一つの国の言語でしかありません。
グローバル化する社会にあって、
「現代は英語の時代だ!」
と声高に叫ぶ人の中には、ひょっとすると、首都圏の言葉を扱えることで他者を見下していた輩も混じっているようにも思います。
日本で学ぶ留学生と言葉を交わしていると、
「ああ、美しい日本語だな……」
と感心することは珍しくありません。
でも、首都圏の言葉こそ正しい日本語だと思っている人が、それほど美しい日本語を口にしているかどうかというと、それはまったく別の話になります。
今回は、昔、外国人と話していて、横から東京の人間に、
「この人の言葉は正しい日本語ではないから覚えてはいけない」
と言われて腹の虫の収まらなかった、関西出身のあなたのリクエストにお応えしましたが、いかがでしたか?