内閣の新しい顔ぶれに、一部の野党の方の、
「代わり映えしない顔ぶれ」
「刷新感がない」
てな御意見が報じられていますが、
「そしたら、代わり映えのする顔ぶれって、どんな顔ぶれなんですか?」
「どないしたら刷新感が出るんですか?」
などと伺いたくなります。
首相も含めて全員が代わったら、代わり映 えする、ということなんでしょうか。
言い換えるなら、そうした発言をされる野党の皆さんが政権を握ると、代わり映えがする、ということのように思われます。
そうなると、刷新感が出てくるということなんでしょか。
そもそも、代わり映えするかしないかなんて、誰が何を基準に決めるのでしょうか?
刷新感も同様です。
特に[感]が語尾に付く言葉は、
「すべてあなた個人の感想ですよね」
といった類の言葉でございます。
それだけではありません。
[代り映えがしない]
[刷新感がない]
というのは、他に批判する言葉を持っていません、という告白かと思います。
つまり、批判のための材料が思いつかないから、ばっさり切り捨てるような言葉を口にしているだけ、言い換えるなら、思考が停止しているけれど、冷静さを装うために使われる言葉、言うなれば、感情をを隠して相手を批判するための最終兵器、を持ち出しているように感じておりますのは、ワタクシだけでしょうか。
感情を隠して批判するのために使われる言葉は、他にもありそうです。
[代り映えがしない][刷新感がない]と同義なら[新鮮味がない][目新しさがない]てな言葉もあるかと思います。
他に、
[~が伝わってこない]
[~が感じられない]
いった言葉も、発言者の感情がそうさせているのであって、客観的な表現ではありません。
ワタクシなんぞは、
「そないに言わはんるんやったら、しょうがおまへん。さいなら~」
てなことで、そのまま縁が切れてもええぐらいに思うてあれこれ言葉を尽くすことはいたしませんが、批判の最終言語を用いられると、なんとなくこっちが悪いように感じてしまう方は少なくないかもしれません。(知らんけど)
報道でもプライベートでも、批判したいときの最終言語を御使用になるお方をお見受けすると、がっかりします。
え?
オマエは使わへんのか?
刷新感のないオチや!