コミュニケーション問題の根源を語る辛さ

おそらく、十年以上前から、挙ってコミュニケーション能力の必要性が叫ばれ、また、その向上を図るためのセミナーが実施され、書籍が販売されていますが、いったい、いつまで続ければ、みんなにコミュニケーション能力が身に付くのでしょうか?

 

この疑問を解く鍵が、最近話題になった、セクハラ発言で降格処分になった会社員の裁判にあるのではないかと考えています。

私の友人の一人は、昔、営業職にあって、取引先の女性に触れることがコミュニケーションだと思っていた、と、セクシャルハラスメントが注目されはじめた頃に話していました。

でも、現在、彼はそんな問題を起こすことなく、周囲とのコミュニケーションを円滑にとっています。

コミュニケーション能力、および、変化に対する適応能力を有している人材であるということを証明しています。

 

しかし、セクシャルハラスメントについての認識が社会にも浸透しているのにも関わらず、また、会社が指導していたにも関わらず、そうした発言を止めなかった今回の二人の会社員には、おそらく、コミュニケーション能力、さらには柔軟な適応能力が欠如しているのでしょう。つまり、昔ながらのセクハラ発言でしか女性とのコミュニケーションを取ることができなかった、また、その方法が使えなくなったと知っても、それに適応できなかったということでしょう。

その状態で管理職が務まる人間が存在する組織自体に、実は大きな問題があるのではないかと思います。

でも、これは特別な事例ではないかもしれません。

コミュニケーション能力の欠如した、もっと具体的に言うと、たとえば、意味のよくわからない文章でメールを送信する管理職は、少なくないようです。しかも、彼らが自分のコミュニケーション能力の向上を図るために、何か行動を起こすことはなく、自分のことは棚に上げて、新人研修としてそれを実施するように指示を出します。

 

適応力が欠如している私が、こんなことを書いてしまいましたが、自分のことを棚に上げないと、何も書くことができないところが、辛いところで……