錦織圭選手が全仏オープンテニス準々決勝で敗退した理由は、彼が日本人だったからではないかと思います。
トップ10に名を連ねるようになってから、いずれ頂点に立つだろうと言われるほどですの実力がありながら、今回の敗因として錦織選手は自ら、
「自分を見失っていた……」
「なぜか焦りが出た」
と述べています。
テニスだけではありません。
勤勉努力を看板にする日本人選手は、他のスポーツでも大勢輩出されています。
その努力の甲斐あって、次は世界一に……と言われるほどの実力を持ちながら、惜しいところでその栄冠を勝ち取れない日本人選手は少なくありません。
企業人に必須とされているプレゼンテーションに関する書籍が多数出版され、あちこちでそうした研修が行われているのにも拘わらず、本番でしくじる人は、やはり日本人だからではないかと思います。
関西の漫才コンビ、中川家のお兄さんが舞台に立てなくなった時期があったそうです。
そのとき、お医者さんから、
「それが当たり前。人前で堂々と話が出来る方が普通ではない」
と言われたという話を聞いたことがあります。
プレゼンテーションという概念は、元々日本にはなく、大多数の日本人の遺伝子に組み込まれていなかったモノではないかと思います。
ですから、それが出来ないからと言って、自分を責めるのは間違っています。
難なく人前で話ができる人を羨望のまなざしで見るのではなく、むしろ、
「あの人は普通の人じゃないんだ……」
と見るべきでしょう。
ただ、こうした敗因を糧にしていくと、次に結果が出せるでしょうし、新たな遺伝子が我々の中にも組み込まれていくのではなかと思います。
そういう意味で、錦織選手は世界の頂点に立つ準備ができた、と言えるのではないかと思います。
私も、
「あんさん、普通の人間やおまへんな〜」
てなことをよく言われますが、世界一と縁がないばかりか、プレゼンテーションの達人などと言われることもないのは、いったい、どうしてでしょうか……