〈シネマカレッジ京都〉・型破りの型

〈シネマカレッジ京都〉の脚本分析のクラスの授業では、いろいろな発見があります。 

感情を考えて演技をするということと、感情表現の型を体得することとのバランスがとれるかどうかという点が、俳優には求められるようです。

でも、演じる際には、そのとき、その場での感情を先に考えて演じることが重要であるかのように思い込んでいました。

それはたぶん、私だけの思い込みではないと思いますが、ただ、それは、日本の演劇の歴史を蔑ろにした考え方であるようです。

 

たとえば、能において、役者が台詞を発することはありません。

狂言でも歌舞伎でも、役者が最初に学ぶのは、型だそうです。

伝統として伝えられているのは、すべからくその型です。

その基本の型を知った上で工夫をすると、型破りになります。

どれだけ基本の型をマスターしているかということが、本物の型破りと薄っぺらな型破りを分けているということです。

 

型破りな人間というのは、よくも悪くも注目されますが、そう考えていくと、自分が本物の型破りか否かも見えてきます。

 

「しかし、その考え方をひっくり返すのも、一つの型破りではないか……」

 

その発見を例の友人に話したところ、

「キミの場合、自分の考え方が型にはまっていることに気づいていないところに問題がある」

「どうして、アタシが型にはまった考え方をしているなんて言えるんだ?」

「だって、なんでも、ひっくり返せばいいと思っているだろう」

 

シネマカレッジ京都の脚本分析クラスは、本日、お休みです。