今日、某駅前で某銀行が募金を行っていました。
「ほにゃらら銀行です。愛の募金をお願いします!」
と、その銀行員と思しき四、五人の、若い男性が募金箱を持って声を張り上げていました。
「何かと忙しい年末、それも休日の土曜日にわざわざ駅前で募金活動に励むなんて、なんてステキな銀行なんでしょ……」
てなことを思わないのは、アタクシの性根が歪んでおります証拠であります。
毎年、恒例になっております歳末助け合い募金でも、
「恵まれない人たちに愛の手を……」
てな調子でやってますが、募金がホンマはどこにどう流れていくんや…… と、ついつい疑ってしまうほどの人間でございます。
『足なが募金』のように、
《交通遺児など親を亡くした子供や学生を支援するために愛の手をお願いします!》
ということを、街頭に立つ学生、特に女子学生自らが声に出している場合には、募金箱にいくらか入れていきますが、銀行名を先に述べてお金がどう流れて誰のためになるのかということを明示しないまま、
「愛の募金をしています、どうか皆さん愛の手をお願いします」
なんてのは、売名行為か、あるいは自己満足でしかありません。
そんな募金行為を若い行員に許している、あるいはさせている銀行は、自分たちが安易な思いつきで物事に取り組む銀行であることを、自ら世の中に宣伝していることに気づきもしない銀行です。
「そんな銀行の募金箱にお金を入れる人なんているもんか……」
と、思いながら通り過ぎた直後に、おばちゃんがちゃり〜んと、小銭を入れておられました……
(え? 募金をしない自分を正当化しているだけじゃないのかって……?)
そのようなことは決してありません。
アタシもときどき入れます。
「は〜ちょいな、ちょいな……」
(そら、合いの手や!)