『羅生門』の教え

電話をかける〈かけ子〉、現金を受け取りにいく〈受け子〉と役割が分担されていた特殊詐欺に、受け取った現金を〈受け子〉から強奪する〈取り子〉という役が新しく現れたそうです。

これによって〈受け子〉に取り分を払わないどころか、奪われた〈受け子〉から賠償金までせしめようとするそうです。

しかも、〈受け子〉から現金を強奪をしようとした奴らは逮捕されてなお、

「犯罪者から金を奪うのは罪にならない」

と、のたまわったそうです。

 

この報道に接して、芥川龍之介さんの『羅生門』を思い出してしまいました。

平安末期、餓死するか盗人になるか迷っていた男が、死人の髪を抜く老婆を咎めたところ、

「自分が生きるためなら、悪いことをした奴に悪いことをしてもいい」

という主旨の反論を受けて、その老婆の身ぐるみを剥いで男は逃げ去る、という小説です。

決して昔の作り事ではなく、現代でも誰もが直面するかもしれないテーマです。

 

ただ、だからといって特殊犯罪に手を染める者が、いえ、罪を犯す者が、口にしてはいけない言葉だと思います。

けれども、どうしてもそうやって自分を正当化するなら、自分も誰かに悪事を働かれても、文句は言えません。

 

羅生門』には、そこまで記されていません。

また、芥川龍之介さんは、この『羅生門』はもちろん、古典から題材を取った小説もいくつか書いています。

ですから、この続きを書いて公募小説に応募すると受賞できるかもしれません。

でも、そうやって書かれた小説は、特殊詐欺の被害にあった方をさらに傷付けることになるかもしれません。

 

小説とは、誰かの不幸をネタにして成り立つという一面も持ち合わせています。

他人の不幸をネタにする小説家は、自分の不幸をネタにされても文句は言えません。

…… やっぱり、やめようかな……