大阪市内の中学校の校長先生の生徒に向けた発言が物議を醸しています。
教育委員会に呼び出された件の校長は、正しいことを述べただけだと主張したようですが、それに対して教育委員会は、不適切な発言だと断じたようです。
明らかに不倫と称されるべき行為を、不適切な関係と表現するのは、事実を矮小化するためのごまかしでしかありませんが、この校長先生と教育委員会のやりとりから見えてくるのは、世の中、正しいか否かよりも、適切かどうかという点が重視されている、ということかと思います。
もとより、正しいことの絶対的な判断基準を示すのはむずかしいことだと思います。
組織の論理によって正しいとされることでも、その組織以外では正しくないという事例は枚挙に遑がありません。
でも、適切か否かを判断する基準の方が、もっと不透明ではないかと思います。
その校長先生は、3年前から同じ意見を生徒に述べていて、それが不適切だ何だと言われたことはなかったそうです。それが、今回、指摘があって不適切だと断じられたということです。
これはつまり、今までも不適切であったけれど誰も指摘しなかったから不適切であることが露見しなかっただけだったのか、それとも、まったく不適切ではなかったのに指摘があって初めて不適切のレッテルが貼られたということなのか、という、不適切の意味に関わる問題かと思います。
いずれにしろ、当ブログも不適切だと咎められないように気をつけてはいますが、でもそうすると、
「面白くないぞ」
という誹りを免れなくなる可能性が出てきます。
正しいかどうかは別にして不適切だと非難されないことよりは、不適切だけど面白いと評判になるほうがよいという考えを我々は持つべきだと、アタシは思っていますが、これって、不適切ですか?
(え? 不適切な上に面白くない……)