雑談のフォロー策

よくあるミステリードラマでは、

「そんな奴、落語にしか出てこないぞ」

という人物が登場して、ドラマの途中や事件が解決して最後にエンディングテーマが流れ始めるころにドタバタの笑いを提供してくれます。

 

「あれを見るたびに、こんなシーンは要らないだろうと思う」

と漏らしましたところ、

「キミのブログも、同じパターンで毎度くだらないオチをつけているじゃないか」

と、例の友人に手厳しい指摘を受けました。

 

昨日、久しぶりにお会いしましたアタクシのブログの数少ない愛読者、留五郎さんにそんな話をいたしましたところ、

「いや、だからほっとするんですよ」

と言われて、なんだかアタシもほっとしました。

 

落選した知り合いの政治家から、毎日、ブログが送信されてくるという方は、

「『今の苦境を乗り越えるためにこんなことをしている』とか、『政治に関してこんなことを考えている』とか、そんな自分のことばかりを綴った内容ばかりで、読んでいてしんどくなるので、最近はそれに眼を通さなくなった」

というお話をされていました。

 

雑談にもこれは共通することで、自分の想いや考えを言いっぱなしにする話に、聞き手は実は閉口しています。

でも、気持ちよくしゃべっている当人は、あまりそれに気づきません。

 

話し手にしろ聞き手にしろ、適当なオチで場を和ませることを忘れてはいけないのではないかと思います。

 

てな話を例の友人にいたしましたところ、

「キミの場合、それでスベってよく場をシラケさせるているじゃないか」

といつものように言われましたが、

「そんなときには、『だから言いたくないって言ったでしょ』と、傍にいる誰かに言わされたことにして笑いをとるから大丈夫!」

と、フォロー策を弁じると、

「キミは、そのたびに、友人をなくしていることに気がついていない」

 

留五郎さん、いつもありがとうございます。