枕詞の効用

百人一首は、今では中学校や高校の冬の宿題と化し、あるいは競技になってしまいましたが、昔は一般庶民にも親しまれいたようで、落語の『崇徳院』や『千早振る』などといったネタの他にも、『猿丸(猿丸太夫)』といった小噺もあります。

桂米朝師の『米朝これくしょん3』(筑摩書房)にも、枕詞を使った物売り、

〈久方のあめ屋〉

〈足びきの山の芋〉

〈とりがなく吾妻下駄〉

などが記されております。

 

せっかく学んだ百人一首が言語生活に生かされないのはいかがなものかと感じておりましたが、枕詞を盛り込めば、豊かな言語生活と古典の継承につながるのではないかと思います。

 

たとえば、

「あそこは、〝ぬばたまの〟黒会社(ブラック企業)だから、アルバイトにいかないほうがいいよ」

とか、

「今度、〝やくもたつ〟出雲に、〝わかくさの〟妻と二人で〝くさまくら〟旅に行く予定が、〝たらちねの〟母も連れて行くことになってしまった」

とか、

「〝たまかぎる〟ほのかな思いが〝なつくさの〟深くなっても〝むらさきの〟彼女の心を〝あづさゆみ〟射ることかなわず〝いそのかみ〟振られてしまって、〝うつせみの〟空しい〝あかねさす〟日を過ごしております……」

とか、考えているうちに、失恋の痛手も嫌なことも〝むらさきの〟心からすべて〝あさつゆの〟消えてしまうかもしれません。

 

(え? 辞書を見ないで書けって……)

なんでわかりましたや……