初日の出の声

昨日、初日の出をヘリコプターから中継するテレビ番組を見ていました。

清少納言の『枕草子』では、

「やうやう白くなりゆく山ぎは……」

とありますが、こちらは京都の日の出を述べたもので、昨日のテレビ番組は、富士山の西側から、富士山と初日の出を捕らえようとする中継でしたから、水平線がしだいに明るくなっていく様が数分に渉って映し出されていました。

 

映像だけではなく、酸素マスクをつけたアナウンサーがそのヘリコプターから実況もしていましたが、マイクを握って話す声の調子は、ヘリコプターの、バラバラといううるさい音に負けまいとする感じでした。

以前でしたら、ヘリコプターの音も聞こえていましたが、その音がまったくしていません。

そういえば、時折見かける上空からのテレビの映像からも、ヘリコプターの音はいつごろからか聞こえなくなっています。

これは、そうした中継機器が発達したからだろうと思いましたが、それとは逆に、初日の出を待っている時間の間、番組の司会者や席を並べている何人かのコメンテーターが、のべつまくなしにしゃべっている声がとてもうるさく聞こえました。

 

映像だけでかなりの情報が伝えられるはずのテレビで、しかも、しずかに初日の出を拝みたい人々に向けて、果たして雑談のようなおしゃべりは必要なのか、と思いながら、消音にしてしまいました。

 

テレビに限らず、現代社会は無音を恐れる社会になっているように思います。

同時に、沈黙を恐れる社会でもあります。

昔は、今よりも無音沈黙の時間が長くあったように思いますが、人間はなぜ、そんな無音沈黙を恐れるようになったのか、静寂の中での沈思黙考が必要なのではないかと、と例の友人に申しましたところ、

「キミの場合、そういったことを毎度毎度誰ぞにしゃべりちらしている自分について、最初に黙って考えなあかんやろ……」