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死語になったか最後の一句

お上の御威光を時代劇で目にしておりましたころには、現代のお上に間違いがあるとかないとか、あんまり考えておりませんでしたが、森鴎外先生の、

最後の一句

に記されておりました、

「お上の事には間違はございますまいから」

という言葉に触れて、

「ああ、お上にも間違いはあるんだ……」

とちょっと思ったことがありました。

 

最近、

文科省天下りが大学の補助金とセットになっているんやおまへんか〜」

てな報道が見受けられます。

かつては、〈ゆとり教育〉と称して学習内容を減らして土曜日を休みにしたのは、

「実は教員の休日を増やすためだったんやおまへんか〜」

てなことみたいに聞いておりますが、今ではそれが学力低下を招いたという見方もされているようです。

念のために申し上げておきますが、アタクシ、決して文科省に含むところがあるわけではございません。

 

 

年金制度が危機に瀕しておりますのも、少子化やらなんやら言われておりますが、その運用の失敗は、すでに広く知られているところでございます。

 

森鴎外先生の『最後の一句』の舞台になっております江戸時代は、お上の御威光がかなり信じられていたように思っておりますが、かなうなら、お上の御威光を信じて暮らせたら、それなりに幸せになれるのではなか、とも思います。

 

これは、お上に限ったことではありませんが、

「うちの会社の事には間違いはございませんから……」

なんて言葉を口にされる方は、現代社会ではいらっしゃいません。

みなさん、言いたい放題でございます。

 

ということは、

「お上(うちの会社)の事には間違いはございませんから」

という言葉が、すでに死語になっている、ということを意味していることにもなるのではないかと思います。

つまり、この言葉が死語になっている国は、つまりは言論の自由が保証されている証拠でもあるかと思います。

 

これを、例によって例の友人に話しましたころ、

「キミは、間違っている」