明言を避ける人々〜財務省・貴乃花親方・王外相・トランプ大統領〜

本日、

《明言を避ける》

方が目立ったのは、偶然かもしれませんが、その真意は一つではないように思います。

 

学校法人『森友学園』への国有地売却に関して財務省に存在した文書が書き換えられていたのではないか、別に文書があるのではないかという疑惑について、

「(提出した写しが)近畿財務局にあるすべて」

と、明言しなかったそうです。

 

春場所、休場することになった横綱稀勢の里関は、次の場所で進退をかけると明言し、

貴ノ岩関の春場所出場について貴乃花親方は明言を避けたそうです。

 

中国の王外相は、記者会見で日中関係の改善を認めながらも、首脳会談の時期などについては、明言を避けたそうです。

 

アメリカのトランプ大統領は、対話の姿勢を示す北朝鮮を、真剣だと評しながらも、米朝会談に応じるか否かについては、明言を避けたそうです。

 

《明言を避ける》

 

その真意は、

〈まだ不明確な部分はあるが、時期が来れば明言する〉

という場合と、

〈相手の出方を見極めるために、あるいは言質を取られないように、慎重に対応している〉

という場合と、

〈明言すると明らかに不都合な事態になるので誤摩化している〉

という場合があるかと思います。

 

まあ、どれがどうとは申しませんが、いずれも重要だという事案に違いはありません。

 

以前からずっと、この、

《明言を避ける》

という言葉を使いたいと願っておりましたが、こんなふうに改めて考えてみましたら、

アタクシの人生において、この言葉を使う機会がない理由に気がつきました……

『ファイナルカット』と『おはよう日本』

テレビに映っていることは、みんな他人事のようにお考えかもしれません。

 

火曜日の夜9時から包装されている関西テレビのドラマ『ファイナルカット』で、司会者、藤木直人さん演じる百々瀬塁が中心となって進める、緊張感の高い会議は、一般的な組織でも少なくないように思います。

 

他方、たとえば、今日のNHKの『おはよう日本』で高瀬耕造アナウンサーに、

「和久田さんはどう受け流しますか」

と振られても、和久田麻由子アナウンサーは、

「高瀬さんに流します」

と、うまく返していらっしゃいました。

たぶん、事前の打ち合わせでもそうした話もされているたかとも思われますが、『ファイナルカット』のような雰囲気の会議では、ああした受け答えはできないのではないかと思います。

 

仕事において、本質を忘れてふざけてばかりいることは許されませんが、かと言って、スタッフにストレスをかけるばかりでも仕事はうまく運ばないのではないかと思います。

 

冬季オリンピックカーリング女子で銅メダルを獲得した日本チームの様子は、会議、打ち合わせの一つの理想的な姿ではないかとも思います。

 

テレビは、現代を映す鏡でもあり、アタクシにとりましては、ブログの貴重なネタ元でもあります。

特に、誰かと会議や打ち合わせをやって書いているわけではありませんが……

 

え?

(説得力がない!)

それは、今に始まったことではありません。

悪しからず……

〈宮里藍サントリーレディスオープンゴルフトーナメント〉から〜冠と爪痕〜

日本女子ゴルフツアー、サントリー・レディスの大会名称が、昨年、引退したゴルフの宮里藍さんの名前を冠した、

宮里藍サントリーレディスオープンゴルフトーナメント〉

に変更されるという報道がありました。

 

宮里藍さん、おめでとうございます。

 

芸能人、特にお笑い芸人のステータスの一つに〝冠番組〟ができるかどうかということがあるようです。

 

文学賞では、芥川賞直木賞を筆頭に、著名な作家の名を冠した賞があります。

 

フィギュアスケートの羽生選手のように国民栄誉賞が授与されたことは、

《歴史に名を刻む》

ことになるかと思いますが、世間一般の人の中には、そんなたいそなとこまでいかなくても、

《爪痕を残したい》

という思いをお持ちの方も少なくないように思います。

 

もちろん、宮里藍さんや芥川龍之介先生はその名を歴史に刻んではいますが、自分の業績が何らかの形で残れば、己の生きた証、つまり爪痕を残すことになるのではないかと思います。

 

アタクシなんぞも、一発逆転人生を狙いながら、同時に世の中に爪痕を残したいとじたばたしておりますが、一方でステキな女性から、

「あなたの背中に爪痕を残したい……」

てなことを一度でいいから言われてみたいと願っております。

まあ、アタクシの場合、実際には顔に引っ掻き傷を残されるのが関の山かと……

 

てなことを例によって例の友人に語りましたところ、

「キミの場合、顔どころか、鼻にもひっかけてもらえない、ってところやろ」

辞めるとき……

二年間、勤めた職場を辞める知人の話によると、

「問題が起こっても何にもしない複数の人たち」

と、

「会議の席などで上司の不手際や経営陣の手法を激しく糾弾して組織をよくしていると勘違いして却って職場の空気を悪くしていることに気づかない人たち」

の存在にこれ以上我慢できなくなったことが、退職の理由だそうです。

 

ある組織のトップに立っている友人は、

「スタッフが辞めるのは、その部署の長がしっかりと伝えることができた結果、本人がそれを理解して自分の将来を考えた場合と、その部署の長がしっかりと仕事について伝えない場合の二つがある」

と述べていました。

 

それぞれ全く接点のない二人の話を聞いて、

「あちこちでも起こる問題なんだろうけれど、職場環境がよくないせいで誰かが辞めていくのは、もったいないなぁ。なんとかならんもんかいなぁ……」

と思いました。

 

そんな感想を例によって例の友人に話しましたところ、

「キミの場合、非正規雇用者という立場だから、そんな呑気なことが言えるんだろ」

と言われましたので、

「呑気なことが言える立場を、アタクシは自分で選んだんや!」

と言うたりました。

言うたりました……

言うたりましたんや……

 

(泣くな!)

悪魔小考2

悪魔を、

《憑依する悪魔》

《魂を買う悪魔》

に分けましたが、悪魔の一番の疑問は、

「なんで憑依したり魂を買うたりするんや」

というところですが、ネットで調べる限りでは、明確な理由は見当たりません。

 

永井豪先生の『デビルマン』では、デーモン一族が次々と人間に取り憑いて、うまくいけば主人公不動明のようにデビルマンになりますが、失敗すると人間もデーモンも死んでしまうという設定になっています。

そんなところから考えますと、悪魔が人間に憑依するのは、人間を排除して悪魔の世界を作りだすためではないかと考えられます。

だとすると、悪魔が人間の魂を買うのも、その人間を悪魔にするため、世界中に悪魔で一杯するための戦略の一つだと考えれます。

 

一方、かつて一世を風靡したアニメーション『妖怪人間』では、主人公のベム、ベラ、ベロは、人間を守りながら、

「早く人間になりた〜い!」

と願っていました。

 

堕天使ルシュフェルはともかく、悪魔に魂を売った人間は悪魔になったとしても、中には人間に戻りたいと考える族もいるのではないかと思います。

となったら、

《憑依する悪魔》

は、人間に還るためにそうしているのかもしれません。

 

昨日に続いて悪魔について記していると、アタクシも悪魔に魅入られてしまうかもしれません。

 

え?

(悪魔も仲間にしたいかしたくないとか、人間に戻るにしてもそんな奴になりたいかどうかとか、考えているはずや……)

そら、どういうこっちゃ!

悪魔小考

芥川龍之介先生の作品の中に、『煙草と悪魔』という短編小説がございます。

ポルトガルの船でしたか、潜り込んではるばる日本にやってきた悪魔が、結局、日本で満足に活動できなかったというお話です。

 

先日、高校で社会を教えていらっしゃる先生に、

「悪魔が日本に入ってきたのは、いつ頃なんでしょうか」

てな質問をいたしましてお話をしておりましたら、日本の悪魔は仏法の魔、お釈迦様が悟りを開かれようとするときに、それを妨げようと現れた魔障ではないかというところに行きついたところは、非常に面白うございました。

 

そんなこんなで悪魔について調べておりますおりますうちに、悪魔には、

《憑依する悪魔》

《魂を買う悪魔》

の二つのタイプに分けられることに気がつきました。

 

ヨーロッパでは、今でも悪魔払いを専門とする方がいらっしゃるようです。

日本には、悪払いをされる方は存在しないようですが、狐憑きのキツネを退治される方はいまだにいらっしゃるかもしれません。

つまり、《憑依する悪魔》は、日本ではキツネに相当するのではないかと思われます。

 

問題は、

《魂を買う悪魔》

で、アタクシも悪魔に魂を売ってでも一発逆転の人生をいまだに狙っているわけでございますが、ここでもふと疑問になりましたのが、

「悪魔はどんな魂やったら買うてくれるんやろ……」

「悪魔は魂を買ってどなするんやろ……」

てなことで、これを元に小説を書いたらおもろいんちゃうか、などと思いついたんでっけど……

 

え?

ゲーテ先生のファウストを読め!)

サワコの朝から〜野口五郎さんの教え〜

今朝の《サワコの朝》(MBS)のゲストは、歌手の野口五郎さんでした。

 

14歳で上京して野口さんを、毎月訪ねていらっしゃったお父様がお帰りになるときに、挫折感を味わって帰りたいとその背中に告げようとしたそうです。

でも、そのとき、お父様はわざと振り返らなかったそうです。

 

《振り返ってはいけない》

なんて歌詞もはやり歌にはよく出てくるかと思いますが、これができる人は、ほんとうに辛さに耐える勇気をお持ちの方かと思います。

 

なにしろ、日本最古とされる歴史書『古事記』に登場する神でさえ、振り返ってしまっているのですから……

 

「女は過去を振り返らないのよ」

とかなんとか言われて、アタクシ、振り返ってもらったことがありません……

てなところがオチだろうと、アアタ、思いませんでしたか?

 

面白かったのは、コントにも出ていらっしゃった野口五郎さんの、

《間の選択は一つしかない》

という言葉でした。

コントの間は、音楽と同じで、転ぶ時にも8分休符ではふくらはぎに引っ掛けて、16分休符では足首に引っ掛けて転ぶ、なんてお話は、下手な三題噺をやっておりますアタクシには、目から鱗の落ちるような教えでございました。

 

次にカラオケに参りますときに、注意してみたいと思います。

 

え?

(だからと言うて、悪魔にでも魂を売らん限りは、噺は下手なまんまやろ!)