自分の名前を聞き分ける猫

NHKNEWSWEBに、

《猫は自分の名前を聞き分けている》

という研究結果が掲載されています。

名前を呼ばれて反応するのは、それが自分の名前だと認識しているのではなく、音声としてそれが餌をもらえるとかなでてもらえるとか、『パブロフの犬』と変わらない反応のようです。

 

斉藤洋さんの『ルドルフとイッパイアッテナ』(講談社)に登場するネコ〈イッパイアッテナ〉は、飼い猫だったころの名前ではなく、近所の人が勝手にいろいろ名前をつけられて、知り合ったルドルフに、自分の名前がいっぱいある、と言いました。

 

〈イッパイアッテナ〉ほどではないにしろ、野良を稼業として人に異なる名前で呼ばれる猫は、それぞれの名前を聞き分けているのでしょうか?

もらわれていった先で違う名前を付けられたら、猫はその名前を受け入れているのでしょうか?

 

昔から、年古る猫は人語を解し、襖障子を立って開け、尾が二つに分かれて猫又、化け猫などと称されるぐらいですから、自分の名前を聞き分けられるなんて研究結果が報じられても、

「今頃何を言うてけつかる!」

てなことを……

いえ、すでに猫のそうした能力を知っていた昔の人から見れば、ちゃんちゃらおかしいことかもしれません……

 

「科学的研究よりも古典的文献から猫を考えたいアタクシといたしましては……」

てなことを言いかけましたところ、

「キミの場合、科学的にものごとを見られない自分に対する言い訳だよね」

と例の友人に言われましたので、

「いや、ものごとの見方は、イッパイアッテナ……」

 

ぼか! どす! ごん!

 

〝辞任〟よりかっこいい〝辞退〟

アメリカ、メジャーリーグマリナーズの現役選手を引退したイチローさんが、国民栄誉賞を、

「人生の幕下ろしたときに……」

と言って、〝辞退〟したという報道がありました。

辞退は3度目で、人生の幕を下ろしたときに受ける、とはなんて粋な断わり方なんでしょう!

 

忖度発言で、国土交通省の塚田副大臣が〝辞任〟したという報道がありました。

大臣経験者には勲章が授けられるてな話をみみにしたことがありますが、せっかく副大臣まで上り詰めながら、大臣の椅子が遠のいてしまっては、勲章どころではありません。

すべての代議士が勲章をほしがっているとは言いませんが、勲章を〝辞退〟した政治家の話を聞いたことがないのは、アタクシが寡聞だからでしょうか……

 

まあ、もらえるもんだったら、病気と借金以外はいただいておこうという主義のアタクシが申し上げるのも何でございますが、無冠であってこそ勲章以上の栄誉があるように思います。

めでたく受賞した人よりも、〝辞退〟してさらに活躍する人の方が人々の記憶に残るように思います。

 

人生は、〝辞任〟よりも〝辞退〟の方がかっこいい、と言えるのではないかと思いますが、それもイチローさんだからかもしれません……

〈忖度する〉〈空気を読む〉〈自由に想像する〉

国土交通省塚田一郎副大臣の、安倍首相に

〈忖度〉

したという発言が問題(話題)になっています。

ただ、その〈忖度〉は誤った〈忖度〉だったかもしれません。

 

〈空気を読む〉

ということについて、以前、そんな必要はない、と拙ブログで述べたかと思います。

 

〈忖度する〉

〈空気を読む〉

てなことを言い換えると、

〈人の顔色をうかがう〉

ということではないかと思います。

 

ただ、

〈忖度する〉

〈空気を読む〉

には、

〈想像する〉

力が欠かせないのではないかと思いますが、実はそうすると、

〈自由に想像する〉

ことが制約されるのではないかと思います。

いえ、

〈忖度〉

〈空気を読む〉

ために

〈想像する〉

と、

〈自由に想像する〉

力を奪ってしまう、つまり、〈忖度〉する人間、〈空気を読む〉人間ほど、自ら〝自由〟を放棄しているのではないかとも思います。

 

となると、

「忖度しました……」

てなことを自ら口する人は、

「私には自由に想像する力がありません」

と告白しているようなもので、国土交通省副大臣には、

〈忖度〉

したことを口にしたらどういう状況になるのか、

〈想像する〉

ことができなかったのではないかと思います。

 

〈忖度〉

〈空気を読む〉

〈自由に想像する〉

いずれもできないアタクシが言うのもなんでございますが……

自ら最低最悪の人生を歩む人?

一日のうち、

「最低!」

や、

「最悪!」

を何度も口にしてしまう方は、どれほどらっしゃるでしょうか?

 

何かちょっと結果が悪かったら、すぐに、

「最低!」

と言い,うまくいかなかったら、

「最悪!」

と言ってしまう……

 

最低も最悪も最も低く、最も悪い状態を指し示す言葉でありますから、それを一日に何度も口にするということは、その日一日、最低最悪の一日だったことになります。

 

口癖になっている人の最低と最悪は一日では済みません。

毎日が、最低最悪でしかなくなります。

当然、最低最悪の一年になり、ひいては人生、最低最悪である、ということになってしまうかもしれません。

 

口癖が幸福を呼ぶ、てな今時流行りのキャッチフレーズをここに記すつもりはありませんが、近頃の若い人の会話を聞いておりますと、最低最悪が飛び交っております。

 

それらを耳にするたびに、

「その程度で最低? 最悪?」

とツッコミを入れたくなるところをこらえているのは、ヘソの曲がったアタクシだけでございましょうか……

令和を子供の名前につけたら……

新しい元号が【令和】と発表されました。

 

元号にまつわるニュースやらコメントやらが、報道機関はもとより著名人やら一般人やら関係なくネット上に上げられています。

そんな中で拙ブログでも取り上げようとなると、さあ、どういう切り口で記載しましょうかと悩むところでございます……

 

改元とともに結婚しようというカップルが、昨年より多いということでしたから、できちゃった結婚なんかで年内に生まれた子供たちには、

〝令和〟

とつけて、

〝なりかず〟〝のりかず〟〝はるかず〟〝よしかず〟

なんて読ませようてなことを企んでいるカップルがいるのではないかと思います。

そうなると学校では大変です。

「のりかずく〜ん!」

「よしかずです!」

 

「よしかずく〜ん!」

「はるかずえす!」

 

「はるかずく〜ん!」

「なりかずです!」

 

この四人が友達なって、

〈ザ・レイワ〉

なんてバンドを組んだり、

「四人揃って〈レイワンジャー〉!」

なんて正義の戦隊ヒーローを作ったりするかもしれません。

 

他では絶対にないという切り口で書いた今日の拙ブログについて、例の友人は、

「キミの場合、どれだけ元号が新しくなってどれほど他にない視点で書いたとしても、やっぱり昭和の発想だよね」

エイプリルフールに新元号発表!

今日、午前中に新しい元号が発表されます。

昨日は、何と言う元号になるんだてな話題で報道番組も盛り上がっていたようです。

「〝安〟てな字が入るんじゃない?」

とか、

「〝慶〟なんて画数の多い字は商品にしにくいから避けてほしい……」

とか、

「新元号が発表になったら何時間以内に商品として売り出す準備ができている!」

とか、道行く人々のインタビューを交えながら、それでも真面目な元号蘊蓄なども披露されていました。

 

ただ、今日、4月1日がエイプリルフールだということを忘れていなければ、でたらめな元号、たとえば、

「安倍元年になるそうや……」

が出回るぐらいは当たり前で、

有識者会議で揉めて結局発表は延期になった……」

なんてのから、

「新元号記念金貨が造幣局で限定販売されるので、ネットで申し込んでください」

てな詐欺を疑われるようなもんが、すでに出回っているかもしれません。

 

どんな元号になるのかはわかりませんが、エイプリルフールにからんで何か事件が起これば、未来永劫、

『エイプリルフール元号

として人々の記憶に残るかもしれま……

 

ぼか! どす! ごん!

『サムライ噺の会』レポート〜庶民にとって武士とは何ぞや?〜

今日は伝楽亭で『サムライ噺の会』がありました。

 

武士が登場する噺ばかり、落語三席、講談二席という面白い会でした。

 

小なん師の江戸落語『巌流島』は初めて拝見いたしましたが、剣豪塚原卜伝のエピソードとして伝えられている話が織り込まれていて、うまく作られた噺だと思いました。

 

青凌師の講談『先加減』も初めて拝見いたしました。

講談ではお馴染みの大岡裁きで、この元ネタもどこかにありそうだと思いながら、逆に、よくできた噺というのは、あちこちで使われるものだと改めて感じました。

 

侍と言えば、時代劇や時代小説などでは剣劇がつきもので、講談ではそんな場面を派手に見せてくれますが、落語で互いの剣を交わすシーンを見かけることはありません。

 

これは、落語が庶民の娯楽であったことの表れではないかと思います。

さらに大きく分けると、支配者階級である武士を笑い飛ばそうと意図した面と、一方でその権威者の正当であるべき姿を庶民が望んでハッピーエンドとするストーリーになるという面があるかと思います。

 

そんなようなことを思いながら、今日も伝楽亭で楽しいひとときを過ごすことができました!