コロナファイター……

神奈川県が、新型コロナウイルス感染者の治療に携わる医療従事者を応援するキャンペーンを先月、始めた際に、医療従事者を〈コロナファイター〉と命名したところ、県会議員から、

「名称が軽はずみすぎる」

「軽い」

「不謹慎」

といった批判があがったと、報じられています。

 

どんな病気であれ、感染のリスクにさらされながら医療を行っている方々です。

そうした方々にエールを送るのに、ファイターというのはあまりに軽々しい、不謹慎とおっしゃるなら、神奈川県の見解銀の皆さんは、どんな名称ならよかったのでしょうか……

 

何でも批判だけして対案を出さない……

 

そもそも、ファイターという言葉のどこが軽々しいのか、その根拠を明示してもらいたい。

でないと、ファイターとして闘っている方々に、大変失礼ではないかと、むしろそう思います。

 

医療に従事する者でなければ、感染拡大防止に協力することが第一で、政治家なら、そのための方策を考えるべき立場にあるはずなのに、そんなことは国や首長にお任せするばかりで、やっていることと言えば、自分の勝手なイメージだけで言葉を貶めるような発言……

そんな族には、正直、腹が立ちます!

 

すみません。

つい激してしまいました……

ふるさと納税で持続可能な地方自治を……

最近、持続可能なホニャララ、てな言葉を耳にします。

この持続可能な、と言う言葉は、国際社会に共通する持続可能な17の開発目標(SDGs)から使われるようになった言葉かと思います。

 

大阪の泉佐野市が、過度な返礼品で多額の寄附を集めたとして、ふるさと納税制度から外されたことを巡る裁判がまたややこしくなってきたてなニュースもあって、ふと、思いました。

たくさん寄附を集めて自治体の予算が増えれば、非正規公務員の給与の増額ができるのではないかと……

 

今年度から、非正規公務員の給与水準が、同一労働の正規雇用職員と同じに水準に引き上げられることになっているようですが、年収レベルだと、これまでと変わらない、あるいは勤務時間が短くなって、実質下がっている、などと話題になっていました。

これも自治体の財政が逼迫しているからという話ですが、テレビのコメンテーターなんかが、こんなことで非正規雇用職員の人件費なんかを削っていったら、自治体が機能しなくなる、てな発言をしていました。

 

だったら、ふるさと納税で非正規雇用職員の給料を上げればいいように思いました。過度な返礼品で集まった多額の寄附を非正規雇用職員の給与の増額に充当してもいいだろうし、返礼を質素にして浮いた分を、そちらに回してもいいかと思います。

 

そうやって財政的な基盤を築いてこそ、非正規雇用職員に力を発揮してもらえる、持続可能な地方自治が可能になるのではないかと、まあ、いつものようにニュースを無理矢理組み合わせて書いてみましたぁ……

トヨタの入社式で配信されたイチローさんのメッセージから……

昨年、現役を引退したイチローさんの、トヨタの新入社員に向けたメッセージが、昨日、配信されました。

 

今年1月にトヨタが発表した新しい街の構想に、

「社長がトヨタのバッティングフォームを変えようとしている」

と述べて、イチローさん自身が、毎年バッティングフォームを変えて、成績が下がっても貫いたことと重ねて、

「全身と後退を繰返して少しだけ前に進む。つまり後退も前進に向けた大切なステップ」

と述べられたそうです。

 

引退後に、指導者として必要な研修を受けた経験から、教える側より教わる側の力が強くなったことに触れ、

「上司や先輩から教わることには大切なことがたくさんあります。それを謙虚な気持ちで受け止めてほしい」

「厳しく指導することが難しい時代に誰が教育するのか? それは、自分自身です」

と述べたおっしゃったそうです。

 

大変素晴らしいメッセージだと思いました。

 

でも、

「謙虚な気持ちを知っている人はどれほどいるのか?」

ふと、疑問に思いました

 

「謙虚な気持ちを知らない者が、自分自身を教育できるのか?」

とも思ってしまいました。

 

謙虚を知らない者に謙虚を示すなら、講談社週刊少年マガジンに連載されている、森川ショージ先生の『はじめの一歩』を読ませるべきかと思います。

 これを例によって例の友人に語りましたら、

「キミの場合、読んでいてもこうだもんね……」

やっぱり出ました! エイプリルフールのコロナ馬鹿!

今日は4月1日、エイプリルフールです。

新型コロナウイルスの流行で、自ら感染者だと偽って周囲にウイルスならぬ迷惑を及ぼす輩がニュースに登場していましたから、もしかしたら、

「私、新型コロナウイルスに感染しました!」

てなことを言うて、

「今日はエイプリルフールだよ〜ん!」

なんて馬鹿が出現するかも、と密かに思っておりましたら、日本でも活躍した韓国の男性アイドルがやってくれたそうで、一時、NHKはそれをニュースとして流したそうです。

 

新型コロナウイルスに感染して入院している、なんて有名人が己のインスタグラムでやってしまったら、そら、オオゴトになりますわ……

 

まあ、フールは馬鹿ですから、本物の馬鹿がバカなことをしたということになりますか……

 

とにかく、人の生き死にに関わることをシャレにしてはいけない、ということを、若いもんには誰ぞがしっかりと教えてやってもらわんといかんと、改めて思いました。

 

こんな話を例によって例の友人に、いつもより力強く語りましたら、

「キミの場合、もう若くはないのに、ちょいちょいそんなこと言うて、みなから、シャレにならんぞ、と怒られてるよね……」

志村けんさんの功績

志村けんさんがお亡くなりになって、世の中の新型コロナウイルスに対する認識が高まったというお話は、昨日、拙ブログでもふれました。

小池知事が、

「悲しみとコロナウイルスの危険性について、しっかり皆さんにメッセージを届けてくださったという、その功績、最後の功績も、大変大きなものがあったと思っています」

と、述べたことについて、立憲民主党蓮舫参議院議員が、

「今、言葉は大切です。知事、あまりにもです。心がなさすぎます」

とコメントされました。

 

図らずも、志村さんがお亡くなりになって新型コロナウイルスの危険性を世の中に広く認識させることになりましたし、アタクシも、メッセージという言葉を使いました。

ただ、故人の功績、とまで述べるのはどうかとも思いながら、小池知事の他にも、同様に思われた方も少なくないのではないかと思います。

 

蓮舫さんがおっしゃるように、「言葉は大切です」。

どうして大切なのかというと、そのときのその人の感じ方や解釈を表しているからで、同時にその言葉は、蓮舫さんの受け取り方のように、他者にさまざまな感情を呼び起こすからです。

 

だから、言葉は大切で、特に知事のような立場にあるなら、なおさら言辞には気を使わなければなりません。

と言えますし、だから、他者の受け取り方を気にしてばかりはいられない、と言うこともできます。

 

長く人気を博した『8時だよ! 全員集合!』も、当初は、子供の教育上よろしくない、PTAから非難されていた番組でした。

でも、子供には面白くて仕方のない番組でしたし、アタクシも含めて、そのころ、教育上よろしくない『8時だよ! 全員集合!』を視聴していた子供がみんないけない大人になっているわけではありません。

 

 

ごめんなさい。

アタクシはいけない大人になってしまってしまいました……

 

笑いの世界で生きてきた志村さんは、どれほど言葉が大切かと言うことも、またそれをどんな人がどう受け止めるかも、よくわかっていらっしゃったように思います。

 

勝手な解釈をするなら、死してなお、小池知事にそんな発言をさせて、蓮舫さんにこんなコメントをさせたということが、志村さんの功績かと思います。

志村けんさんの御冥福をお祈りします。

テレビの報道では、今日から新年度の体制に変わっているようですが、その最初のニュースが、志村けんさんの死去を伝えています。

お笑い芸人の志村さんが新型コロナウイルスに感染したことが報じられたときには、著名人の感染が、その感染拡大防止について、今以上に注意を喚起することになったと、なんとなく思っていましたが、お亡くなりになったとなると、もっと切迫したメッセージを志村さんが世の中に伝えたことになったように思います。

 

令和最初の年度はじめにしては、衝撃の大きいニュースだと言えます。

 

京都産業大学の複数の学生の感染も報じられて、若い人の危機感も増したようです。

 

その大学生の感染をめぐるニュースで、某放送局は〈予断をゆるさない状況〉とするところを、〈余談をゆるさない状況〉とテロップを映していました。

確かに、〈余談〉に興じている場合ではないなぁ…… と思ってしまいましたが、これが冗談にならないことも、わかっております。

 

苦しい時こそ、笑って、と言われますが、笑わせてくれるはずの本人が笑わせてくれなくなってしまいました……

 

志村けんさんの御冥福をお祈りします。

新型コロナウイルスで知る孤独……

新型コロナウイルスの感染拡大が危機的状況を迎えているようです。

外出自粛で、家から出ない人も増えているそうです。

自宅に居場所のない方は、どうされているのでしょうか……

一人暮らしで外出できないとなると、一日、誰とも接触しなくなります。

そんな、余計な心配をしてしまっておりますのは、アタクシもそうした中の一人であるからですが、ふと、孤独と親しくなるチャンスなのではないかとも思いました。

 

学生時代、家族が誰もいないときに、なぜか孤独を覚えたことがありました。

実際には、直後に、

「これが孤独感なのか……」

と思った次第で、本当はそれが孤独感だったのかどうか、よくわかりませんが、それ以来、一人で暮らしている今、そんな感覚を覚えることはありません……

 

誰かと一緒にいる煩わしさよりも、アタクシは一人でいるほうが気楽でいいと思っている人間のようです。

 

だとしたら、矛盾するようですが、アタクシは孤独とは無縁なのかもしれません……

いえ、若い頃に比べたら、単に孤独に鈍感になっただけなのかもしれません。

不謹慎なことばかり、申し上げますが、この際もっと孤独になろうとも思います。

いっそ、仕事もせずに……