今日は終わりの日のようです……

昨日、拙ブログで人類滅亡、終わりの話を取り上げたせいではありませんが、今日は、終わりの日だったようです。

 

韓国では、憲法裁判所が国会で弾劾訴追した朴大統領の罷免を決定しました。

朴大統領が大統領職を終える日となりました。

 

自衛隊の、南スーダンへの派遣任務の終了が、国家安全保障会議によって決定されました。

 

森友学園の小学校の認可申請が取り下げられました。

まだ、解明しなければならない疑問点はいくつかありますが、籠池氏にとっては、開校しないということが、一つの終わりになっているように思います。

 

『終りよければすべてよし』

とは、よく言われますが、今日、終わりを告げたあれやこれやは、果たしてすべてよしと結論づけることは難しいように思われます。

世の中、すべてよいような終わりなんて、そうそう見られないのかもしれません。

 

「もう終わりにしましょう」

と告げられた人にとっても、それですべてよしというわけにはいきません。

アタクシも、昨年の今日、そんな台詞もないままに強制終了させられたことがありまして……

結論・人類は滅亡する!

先日、理科の先生とお話しする機会がありました。

その先生によりますと、

「現代の医学では治癒できずに人間を死に至らせる病気がいくつもありますから、そうした病気で人類が絶滅する可能性があります」

とおっしゃいましたから、

「それなら、ネアンデルタール人北京原人など、今の人類より以前に地球上に存在した人類は、そうした病気によって絶滅したんでしょうか」

と質問いたしましたところ、

「かつてある人類が生活していた場所を発掘したところ、それ以前の旧人類の骨がたくさん出てきて、たぶん、新しい人類に滅ぼされたのではないかという言われています」

との、返答をくださいました。

 

地球上で栄えた恐竜が絶滅したのは、隕石の落下によるものだという説があるようですが、人類とともにこの地球上に生存していた生物のうち、すでに絶滅した、あるいは絶滅危惧とされる生物のほとんどは、人間の営みによるもののように思います。

 

現生人類が絶滅する運命にあるとしたら、人間の抗うことのできない病気や隕石などの自然の力によるものか、人間が人間を虐殺した歴史から、人間自身の手によるものなのか……

 

そんなところまで議論が進みましたが、いずれ現生人類は滅亡するだろう、という結論は一致いたしました。

 

「やっと、アタクシと意見の会う方と巡り会うことができてうれしく思います」

と、申し上げましたら、

「私は、うれしくない!」

暴論・読書読解手遅れ論

読書をしない大学生が45%を超えて、過去最高になったという調査結果が報じられました。

PISAで、日本の子供の読解力が劣っていることが報道されました。

読解力を増強しなければならない、てな危機感から、新聞を使う授業とか、毎朝五分の読書の時間を実践するとか、いろいろ言われていますが、根源的な問題、解決策は、もっと別のところにあるのではないかと思います。

 

ここ数年、ぐずる子供にスマートフォンを見せて、あるいは触らせて機嫌をとることの是非が問題になっているようですが、スマートフォンが登場する前には、テレビに子守りをさせることの是非が、一時話題になっていました。

 

中学生や高校生、あるいは大学生になってから新聞を読めとか、本を読めとか言っても、テレビやスマートフォンに慣れてしまった子供には、手遅れではないかと思います。

 

小さい子供が、たとえば、ぬいぐるみを抱いて、あるいは人形遊びで、想像力を育みながら対話を試みているのだとしたら、相手が誰であっても同じ情報しか流さないテレビやスマートフォンは、子供の想像と対話のチャンスを奪っていると言えるのではないでしょうか。

もちろん、側にいるはずの誰かとの、生きたコミュニケーションのチャンスも失われます。

それが、子供の想像力と言語能力の涵養を妨げているとしたら、小学生や中学生、高校生にいくら重要語句の意味を覚えさせても、読解力を問う問題集を解かせたとしても、読書の魅力を伝えたしても、それは、薄っぺらな能力を育む事にしかならないように思います。

 

以上の考えにつきましては、権威ある何らかの研究がなされているわけでもなく、公的な裏付けなどあるはずもなく、かと言って、アタシがスマートフォンをはじめとする最新機器を使えないことの言い訳である、なんてことではまったく有馬温泉……

                                   デンデン

留五郎さんのための剣豪競演

『桜奉行』を『遠山の金さん』とつないだ拙ブログを読まれた、拙ブログを愛読くださって下さる留五郎さんより、

「ほな、中村主水と座頭一の絡みなんてあってもええんちゃうか……」

てな注文が、メールでありました。

 

実際に戦うと、どちらが勝つかわかりません。

細工を施した刀の柄で相手の不意を突く中村主水は、実は剣の達人という設定で、盲目の座頭一には不意打ちよりも真っ向勝負を挑むほうが勝機はあるように思います。

 

そんなことを書きますと、きっと、

「そしたら、『丹下左膳』や『旗本退屈男』、『眠り狂四郎』に『水戸黄門』、『柳生十兵衛』『暴れん坊将軍』なんてのどないなんねん!」

てなツッコミが入るかと思います。

 

まあ、『水戸黄門』では、助さん格さん、風車の矢七なんかが出てきて水戸のご隠居が直接戦うことはまずありませんが、剣の腕前で申しますと、隻眼隻腕の丹下左膳円月殺法の眠り狂四郎も柳生新陰流柳生十兵衛も劣ることはありませんが、最終的には、もっとも位の高い将軍徳川吉宗の『暴れん坊将軍』が他をひれ伏させて勝つように思います。

ただまあ、もともとアウトローである座頭一や丹下左膳、眠り狂四郎なんてところは、そんなことにこだわりなく強さを発揮するのではないかと思います。

 

え?

(作者や番組が違うもんを、そないに並べられるわけないやろ!)

 

でも、コナンとルパンは映画で競演しておりますから、時代劇の剣豪競演も可能かと思います。

 

こんなところでよろしゅうございますか?

留五郎さん。

フェイク〜『嘘の学園』〜

世の中を騒がせている森友学園は、推薦枠があると宣伝していた別の中学校からその推薦枠を否定されてミスだったと言い、校舎の建設費の補助金を得るために府と矛盾する試算費用を国に提出した点を指摘されて府に提出した金額が正しいと報告したと、報じられています。

 

毎週火曜日九時から、カンテレで放送されている『嘘の戦争』は、スリリングで面白く、そこそこ人気のある番組のようですが、この森友学園を題材にして『嘘の学園』てな番組を制作すると、『嘘の戦争』以上に話題になるのではないかと思います。

 

なにしろ、人気ドラマの鉄板である『学園もの』のような印象を与えるタイトルですから、タイトル自体がフェイクになります。

 

おまけに、先日の読売テレビの『そこまで言って委員会』でも、森友学園問題の裏には大きなグループ、組織が関与しているような発言もありましたから、ドラマを面白く盛り上げる要素はいくらでもありそうに思います。

 

そんなに面白そうなら、オマエが作ればええやないか、てな御指摘もあるかもしれませんが、もしそれで森友学園問題に関わったグループ、組織から命を狙われるようなことになったら、困りますので……

 

え?

(そうなったら、フェイクニュースやと言うたらええ)

それが通用するのは、アメリカ大統領だけやないかと……

 

え?

(そしたら、「フェイクだよ」と言うて驚いた顔をしたらええ)

それは、車のCM「ウェイクだよ。兄ちゃん」……

コマーシャルの手法

湖池屋の、女子高生がアカペラで歌うコマーシャルは、実に迫力があって非常にインパクトがあります。

 

自動販売機の左右に分かれて座る鳶職と営業のサラリーマンの、

「俺にはできねえな……」

と互いに思うGEORGIACAFEの缶コーヒーのCMには共感を覚えます。

 

桃太郎や金太郎、浦島太郎といった昔話のヒーローが…… あるいは、白い犬の家族が…… という携帯電話会社のコマーシャルは、設定とストーリーによってシリーズ化されていて、連作のショートショートを見るような感覚を視聴者に与えます。

 

コマーシャルが入るとチャンネルを変えられる可能性がありますが、逆に、このコマーシャルだから何度でも見たい、と視聴者に感じさせることができたら、そのコマーシャルは一つの作品として成功したと言えるのではないでしょうか。

 

インパクトを与えるか、共感を感じさせるか、ストーリーを見せるか……

 

コマーシャルの手法は、人間関係において自分の存在をアピールする方法にもなるかと思いますが、わかっていても、アタクシの人生、なかなかうまくいきません。

 

そんな話を例の友人にいたしましたところ、

「アピールをしないことも、一つのアピールになるんだよ」

と言われまして、アタクシ、目から鱗の落ちるように思いまして、

「確かにそうだ。ボクは今まで、自分をアピールすることばかり考えていたからいけなかったんだ。アピールなんかしなくても、口コミで広がっていくこともあるんだ」

「もちろん、キミの場合、それに価する中身がない、という問題点が、大前提としてあるけれどね」

桜奉行

出久根達郎先生の『桜奉行』が、養徳社から刊行されています。

幕末、外国奉行としてロシアと交渉し、遠国奉行として、奈良でも五年間、奉行職を務めた川路聖謨を描いた小説です。

その、『川路聖謨と奈良を学ぶ会』の第2回講座が、昨日、川路聖謨の研究をされている中学校の教頭先生を講師に迎えて、奈良県立文化会館小ホールで開催されました。

たった五年ではありますが、川路聖謨が奈良に残した功績は大きく、『桜奉行』のタイトルになっているように、奈良に桜の植樹をしたことでも名を知られている方です。

 

歴史の表舞台で活躍しながら、その割には歴史的な評価、知名度が低い人物の一人ではないかと思われますが、坂本龍馬の功績も、司馬遼太郎先生の小説がなければ、現代における人気もなかったのではないかと考えられる点を思料いたしますと、出久根達郎先生の『桜奉行』によって、川路聖謨の名前も世の中に広く知られ、いずれはNHK大河ドラマにも取り上げられるのではないか、などと勝手に思っております。

 

ちなみに老婆心ながら申し上げておきますが、お白洲で片肌脱いで、

「おうおうおう! この桜吹雪が目に入らねえのか!」

なんてお奉行様とは、まったく違いますので……

 

え?

(そんなことを最初に思ってしまう奴は、オマエの他におれへん!)

 

『桜奉行』の題名を見て、アタシが遠山の金さんと間違うたことが、なんでアンタにわかしましたんや……