《釈迦に説法》か《論語読みの論語知らず》か……

先日、拙ブログの愛読者でいらっしゃる留五郎さんに、

「土曜日は〈サワコの朝〉で日曜日は〈そこまで言って委員会NP〉がネタになりますけど、月曜日から金曜日は大変でしょう」

「最近、政治問題や社会問題ばかりで、もうちょっとほっとするような、仮面ライダーウルトラマンの話、個人的にはウルトラマンをお願いしたいころです」 

なんてことを言われました。

 

毎日のネタに困って仮面ライダーウルトラマンやワンピースから、政治問題から、社会問題から、あれこれ捻り出しているわけでは、決してありません。

 

多くの方が誤解をされているかもしれませんが、拙ブログは、『ことのは学舎』と題しておりますように、言葉について、日本語について考察を深めることを主眼としたブログであります。

 

日本人に日本語についての考察を深めるブログなんて、

《釈迦に説法》

と一蹴される方もいらっしゃるかもしれませんが、

論語読みの論語知らず》

という認識を持たれておられる方もいらっしゃるのではないかとも思います。

 

今日は、そうした意味もあって、先ほどの『教養を感じさせる褒める表現』を……

 

え?

(毎度つけてる、あの下手なオチは何や!)

 

ごめんなさい!

たしかに、毎回、ネタに困っています!

教養を感じさせる褒める表現

教養の有無を感じさせるか否かは、語彙力に比例するのではないかと思います。

特に、褒める場合にそれが表れるように思います。

 

たとえば、プレゼンテーションがよかったことを伝えるときに、毎度、

「ええプレゼンやったな」

では教養があるとは言えません。

 

《間然するところがない》

なんて表現を使ってみて、

「それ、どういう意味ですか……」

と問われたら、

「非難するところがまったくない、ということだよ」

 

たとえば、仕事ぶりを褒めるときに、毎度、

「よくがんばってるな」

では教養があるとは言えません。

 

《委曲をつくして余蘊がない》

てな表現を使ってみて、

「それ、どういう意味ですか……」

と問われたら、

「細かいところまで行き届いていて無駄がない、ということだよ」

 

たとえば、会議での発言を称賛するときに、毎度、

「ええこと言うやないか」

では教養があるとは言えません。

 

《傾聴に値する至言だ》

なんて表現を使ってみて、

「それ、どいう意味ですか……」

と問われたら、

「熱心に聴くべきもっともな言葉、ということだよ」

 

え?

(それだけの表現を知っているのに、教養があるどころか、胡散臭いブログに見えるのは、なんでやねん……)

 

《そこまで言って委員会NP》〜本日の舛添要一氏の席〜

本日の《そこまで言って委員会》は、〈森友問題決済文書書き換え〉と〈米朝会談〉の二本立て直球勝負でした。

 

〈森友問題決済文書書き換え〉に関するキーワードは、すっかりお馴染みになりました〝忖度〟と〝組織防衛〟の二つに収斂されるようです。

ただ、〝組織防衛〟を図った結果、〝財務省解体〟という結論を示された論客は一人ではありませんでした。

ドラマではありませんが、たとえば上司上層部が〝組織防衛〟を口にしたったん、組織は壊滅解体に向かうように感じました。

 

米朝会談〉につきましては、外交的に行き詰まった韓国が北朝鮮の思惑に乗って南北合同でアメリカをペテンにかけようとしているのを承知でトランプ大統領は会談を承諾し、けれども破談になったところでアメリカは軍事行動に踏み切るとことになるのではないか、という読みを聞かされて、他所で吹聴したくなりましたが、アタクシが吹聴いたしますと、

「どこで仕入れてきたんや?」

と一発でばれるようにも思いますので、慎重に相手を選んで……

 

え?

(誰が引っかかるんや!)

 

ええと、注目いたしましたのは、前東京都知事舛添要一さんが、ざこば師匠などお笑いの方がお座りになる席にいらっしゃったことで、

「舛添さん、人のことになるとすごく的確な見方ができる……」

辛坊治郎議長にツッコミを入れられて場を和ませてくださっていました。

 

確かに世の中には、自分が他者からどう見られているかという点についてはかなりずれているのに、他者に対してはじつに的確な見方ができる方がいらっしゃいますから、そんな方に、

《あんさん、人のことやったようわかりますのになぁ〜》

てなことを言うてみたいと思います。

 

え?

(それ、オマエが普段、言われてることやろ!)

三題噺・花見の場所取り

昨日、伝楽亭にて開催されました『城北素人勉強会』の高座に上がり、例によって三題噺をいたしました。

 

アタクシ、城北勉強会のメンバーではありませんが、留五郎さんからお声をかけていただきまして、出演させていただきました。

 

お客様、並びに演者からいただきましたお題は、〈大根〉〈花見〉〈オットセイ〉でした。

 

町内の花見の場所取りに出かけた清やんと、花見の買い出しに行っていた喜ぃ公が一緒にござを敷いた傍の川に、水族館を逃げ出したオットセイが現れて、ボールの芸を見せた褒美に、二人は大根や胡瓜を投げ与えます。

次に、清やんが花見の出し物のカラオケを披露してオットセイから拍手され、続いて喜ぃ公が忠臣蔵の内匠頭切腹の場面を演じたところ、オットセイが大根を投げ返した……

てな噺を捻り出して、ウケましたので、来月、4月15日(日)午後2時より奈良の古々粋亭で開催いたします落語会で、高座にかけることにいたしました。

 

既成の落語ができないアタクシでも、二年以上三題噺を続けておりますと、ひねりだした噺の中に自作落語として使えるものもできてまいります。

ということで、普通の落語会に自作落語として高座にかけますので、昨日、見逃して残念に思っておられる方は、4月15日、ぜひ、古々粋亭に……

 

え?

(誰も残念に思うてない!)

 

サワコの朝から〜ムロツヨシさんの教え〜

今日の《サワコの朝》のゲストは、俳優のムロツヨシさんでした。

 

恒例の最初の1曲は、子供だったムロさんに衝撃を与えた、とんえんるずのお二人がお歌いになった『雨の西麻布』(作詞・秋元康さん 作曲・見岳章さん ビクター音楽産業)で、これはちゃんとしたムード演歌なんだという認識を改めて持ちながら、でも、ちゃんとした演歌歌手が歌っても、こんなに売れなかったのではないかと……と思ってしまいました……

 

でも、ムロツヨシさんの原点は、間違いなくとんねるずのお二人のこの歌であることに間違いはないと、あとのお話をうかがってそう感じました。

 

親戚のおじさん、おばさんの家で育てられて、たとえば険悪になった空気を何とかするために、自分が明るく振る舞った、というお話は、笑いの根本にかかわるところだと思いました。

 

大雑把な分け方をいたしますと、巷でウケを狙う、笑ってもらおうという人には、ムロさんのように周囲の状況を見て笑いを考える人と、ただ自分が目立つために笑いをとろうとする人の、二つのタイプに分類できるのではないかと思います。

 

これに気がついたことによって、アタクシ、己の人生を深く反省することになってしまいました……

トイザラスの閉鎖が象徴していること

昨年、経営破綻したアメリカの玩具販売大手トイザラスが、アメリカ国内の全店舗を閉鎖するという報道がありました。

販売不振の大きな要因の一つに、、ネット販売が挙げられていますが、玩具だけでなく、書店や洋服、その他小売り全般に見られることかと思います。

 

電子辞書が登場したときに、紙の辞書の消滅が懸念されました。

今では、電子辞書よりもネットで調べる方向に世間は向かっているようです。

それでも紙の辞書を推奨する人は、

「紙の辞書のいいところは、その前後の項目にも目が留ることだ」

とおっしゃっていますが、大方は、

「それがどないしたんや……」

てなことを思われているのではないでしょうか。

 

人間の進化の一端が、必要ではないものに向けられる関心、興味にあるとするならば、五感のうち二つの感覚、視覚と聴覚しか使わないネット検索は、他の感覚を退化させるだけのようにも思われます。

 

直接触れて気がつく、あるいは必要ではないけれどたまたま目にして興味を持たしてくれる店がなくなっていくことは、知的生物であるはずの人類の退化と、さらには絶滅に向かう道標のようにも思われます。

 

これを例によって例の友人に語りましたところ、

「キミの場合、自分がネット販売でものが買えない人間であるということの言い訳でしかないよね」

高瀬耕造アナウンサーの《これについて専門家は……》

今朝のNHKの『おはよう日本』。

世界の動画ザッピングで、落ちたカメラに興味を持ったペンギンが映った映像を、〝ペンギンの自撮り〟と紹介し、

《これについて専門家は》

高瀬耕造アナウンサーが言った次の瞬間、画面は次のコーナー、まちかど情報室に切り変わりました。

たぶん、打ち合わせも予告もなかったのでしょう。

「ワタシが専門家?」

とまちかど情報室のアナウンサーは少し驚きながらも、それなりのコメントを発していました。

 

高瀬耕造アナウンサーの発想は、NHKだけでなく、ワレワレの発想も変えくれます。

 

何人か集まったときに、いくつかダジャレを連発したあとで、

「はい、次、だれそれさん……」

てなふうに油断している人に振るなんてことはちょいちょいいたしておりましたが、今度、機会を見つけて、

「では、専門家の意見を聞いてみたいと思います。はい、誰それさん」

なんてやってみたいと思います。

 

もちろん、やるからにはこちらもそれに対応できるようにしておかなければなりません。

 

「これについて専門家は、はい、どうぞ……」

「え? アタシ? ……ええと……、それはですね……、もっとちゃんとした専門家に聞いてください。はい、もっとちゃんとした専門家の誰それさん……」