「あいつはどうも『虫の好かぬ』奴だ」
「あいつは『虫がいい』ことばかり考えて、人の迷惑を考えない奴だ」
「面と向かってあんなことを言われては、さすがに『腹の虫が収まらない』」
「今日は『虫の居所が悪い』ようだから、部長には近づかないようにしよう」
「副社長は、社内の規律をないがしろにする『獅子身中の虫』だ」
「うちの娘に『悪い虫がつく』から、そんな学校に通わせるわけにはいかない」
「病院に運ばれてきたときには、すでに『虫の息』だった」
[虫]のつく慣用句を並べると、人間の不快な部分を、[虫]が代弁する役を担っていることがわかります。
しかし先日、
「このお菓子は、[虫養い]にちょうどいい」
という言葉を耳にしました。
どうやら京都の言葉のようで、小腹が空いたときにちょっとした何かを食べて空腹を紛らせるときに使うようです。
厄介者は排除するのが当たり前のご時世ですが、不快な虫でも一緒に養っていこうという、千年の都の智恵が読み取れる、美しい言葉だと思いました。