〈天然〉と言われる人は、〈ワールド〉を持っている人でもあるかと思いますが、そういう人は、〈KY(空気の読めない人)〉でもあると思います。
〈天然〉と呼ばれる人は、自分の世界観〈ワールド〉に従って、その場の状況や周囲の思惑を考えることなく、あるいは考えているつもりでも、ピントのずれた対応をする、いわゆるマイペースで行動する人だと思います。
そういう意味では、〈KY〉も同じではないかと考えていますが、〈天然〉には(親愛の情)が感じられ、〈ワールド〉には(尊崇の念)がにじむ一方で、どうして〈KY〉には、(失望と蔑み)しか込もっていないのでしょうか?
〈天然〉と呼ばれる人は、予想を裏切る言動を見せてくれますが、それが場違いであると気づくと、恥ずかしさを素直に表現します。
また、意表をついたその行為には、発見が伴うことも稀ではありません。
アイドル歌手や人気女優に、よく冠せられる称号です。
〈ワールド〉を持っている人は、他とは違う独自の視点で言葉を発する人で、その発言に、人々は啓発され、魅了されます。
時として、それは《〜節》と称されることもあります。
カラオケでみんながアイドルの歌を熱唱しているにも関わらず、そんな独自の解釈を披露しては小節を効かせて恥ずかしげもなく演歌を唸る私は、どういうわけか〈KY〉の称号をいただいております。
そうそう、もう一つ、共通点を挙げるなら、いずれも本人にその認識がない、というところでしょうか……