審判ロボットの矛盾

アメリカでは、将来、ロボットが野球の審判をするそうです。

そうなったら誤審がなくなります。

審判に対する抗議もできなくなります。

抗議する監督が、退場を宣告されるシーンは見られなくなります。

 

日本の大相撲では、行司がロボットになり、土俵の下の勝負審判もロボットになります。

行司差し違えがなくなり、物言いがつかなくなります。

取り直しは、ロボット行司がその場で決定することになるでしょう。

そうなると、勝負審判ロボットも必要ないかもしれません。

 

プロレスのレフェリーもロボットになります。

フォールや反則のカウントが正確に公正になってしまいます。

でも、それをプロレスと認める人はどれほどいらしゃるでしょうか。

 

年末恒例NHK紅白歌合戦の審査員もロボットになって、厳密な得点集計が行われることになります。

より厳密な判定を下すためには、観客もロボットにしなければなりませんが、そうなると、判定が分かれることもなく、全員一致でどちらかの勝利が宣告されることになるでしょう。

 

信頼性が増すと、ロボット裁判官なんてのも出てくるかもしれません。

民間人の裁判員制度は廃止され、誰がどう見ても納得のいく判決が下されるのではないかと思います。

 

すべてにロボットが判定、裁定を下すようになると、それぞれの面白さが失われてしまうのではないかと思いますが、正確で公正な判定、裁定が下されるように見えて、実はそのロボットにプロギラミングする人間の価値観がそれに投影されるのではないかとも思います。

そうした偏りを防ぐためには、精密で公正なロボットによるプログラミングが必要になります。

でも、そのロボットを作るのも人間です。

 

誰もが得心する審判ロボットを作製するということは、人間の矛盾を解消することになるかもしれません……