対句法を使った賢者の言葉に自らを鑑みると、自分がどんな人間か、認識できるのではないかと思います。
たとえば、
『「自分は愚かである」と認められる者こそ、賢者である。逆に「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい。』
というお釈迦様のお言葉に従うなら、自分は賢くない人間だと思っているアタシは、間違いなく賢者ということになります。
作家、ジョージ・ムーア氏の、
『偉人は学びたいものを学び、凡人は他の人が学んでいることを学ぶ。』
という言葉からも、他の人が学んでいる英語や資格を学びたいと思わないアタシは、やはり偉人になるのではないかと思います。
哲学者、フリードリヒ・ニーチェ氏の、
『愚者は良い暮らしを得ても、それよりもっと良い暮らしを求める。』
という言葉は対句にはなっていませんが、現在、良い暮らしを得ていないアタシが良い暮らしを求めても、問題はありません。
ということなら、心理学社のロバート・アンソニー氏の、
『勝者はどんな問題にも解答を見つけ、敗者はどんな解答にも問題を見つける。』
でも、アタシは勝者になります。
「だからアタシという人間は、賢者で偉人で勝者でもあるはずなんだけど、なんだかしっくりこなくて……」
てなことを、例の友人に漏らすと、
「キミの場合、作家で評論家のギルバート・ケイス・チェスタートン氏の、
『解決策がわからないのではない。問題がわかっていないのだ』ということだな」