昨夜、伝楽亭にて、東京の女流講談師、神田陽子さんの講談会が開かれました。
お馴染みの講談二席の他に、
「中学の体育に武道が必須科目になりましたから、落語講談も必須科目にするための活動を、法人を立ち上げて始めました」
というお話もされていました。
小学校から英語教育を必修にすることについて異論を述べるつもりはありませんが、やはり、その基盤、母語となる日本語の重要性についての認識が、お偉いさんには薄いように感じます。
教育に限らず、その目的と効果の明示が何かと求められますが、実は、そんな枠に囚われない発想で落語講談を教育に取り入れることが大切ではないかと思います。
たとえば、NHKのEテレで寿限無を取り入れて、全国の子供が意味も分からないまま、寿限無を覚えました。
たとえば、講談の修羅場読みは、すぐに聞き手に理解できるものではありませんが、七五調の小気味のよいリズムを体感させることができます。
その気になれば、中学の国語の教科書に載っている『平家物語』で、冒頭部分を暗唱させるだけでなく、先生自らが教卓を張り扇で叩いて指導することもできます。
実際、神田陽子師は、師匠の先代神田山陽師から、メトロノームを目の前にして指導を受けられたそうです。
意味を分からせて覚えさせるという発想から、意味は分からずとも日本語のリズムを体に染み込ませる教育が、落語や講談を通して実践すると、30年後の日本人の言語感覚もかなり研ぎすまされるのではないかと思います。
一部の人が予測する教育の効果よりは、予想外の結果を期待することができる。
それが重要ではないかと思います。
(え? 予想外の結果で期待できることは何か、例を挙げてくれ……?)
ええと、たとえば、田舎家かかし師が、自作の『尼の寿限無』で尼崎市の落語大会の決勝に駒を進めましたように……
ええと、たとえば、職場は面白くないけれど、面白い落語や講談をやる人が増えていますように……
ええと、アタクシはこうやってブログが書けていますし……
まあ、たいした予想ができないから、予想外の結果が期待できるのでありまして……
神田陽子さんの次回の講談会、10月も第三水曜日です。