日本の言論の不自由論

内田樹さんの『呪いの時代』に、

〈自分の語る命題が真理であるとあらかじめわかっている人は「言論の自由」を望まない〉

とあります。

 

主催者に対する執拗な中止要請のために、作家の百田尚樹さんの講演会が中止に追い込まれたという報道が、昨日の産經新聞に掲載されていました。

政府、特に与党の政策については、言論の自由が弾圧される、なんてことを報道する新聞社は、このニュースを取り上げていないようです。

 

国会で飛ばされるヤジも、発言を妨げる行為かと思いますが、飛ばしている議員は、自分のやっていることがよくわかっていない輩なのかもしれません。

 

自由な発言は、どこかで誰かを傷つけたり不快にさせたりします。

 

内田樹さんの著書に従えば、自分が正しいと思い込んでいる人は、決して他者の言論を許しません。

 

ほんとうは、日本に言論の自由なんてないのかもしれません。

誰にも言論の自由が認められているなんて、実は幻想でしかないのかもしれません。

 

そう考えると、不自由が当たり前の中で、我々はどうやって自分の考えを発するか、工夫をする必要があるのではないかと思いますが、最後は、やっぱり、声の大きな奴が勝つ、ということになりましょうか……

 

アタクシ、カラオケでかなり大きな声が出せるようになっているはずなんですが、誰も耳を傾けてはくれません。

いや、誰も耳を傾けてくれないからこそ、アタシの言論の自由は保証されている、と言えるのかもしれません……