表現の自由による表現の不自由

愛知県内で開かれている国際芸術祭『あいちトリエンナーレ2019』の実行委員会が、企画展『表現の不自由・その後』の中止を決めたという報道がありました。

 

展示物を巡って抗議の電話が殺到したからだそうで、津田大介芸術監督は、

「感情を揺さぶるのが芸術なのに、『誰かの感情を害する』という理由で自由な自由な表現が制限されているケースが増えている」

と述べられたそうです。

 

多くの人の感情を揺さぶるのが芸術には違いありませんが、誰かの感情を害するのも芸術です。

 

また、芸術に何らかのメッセージがこめられていたとしても、そのメッセージが誰にどう受け止められるか、という点にまで芸術を発信する者が干渉することはできません。

 

感情を害された為政者によって不自由な表現を強いられる現象は、世界のあちこちで見受けられるかと思います。

それが、表現の不自由にまつわるイメージかと思いますが、現代の日本では、為政者がそうした意図を持って表現を制することは稀かと、アタクシ、認識しています。

ただ、表現の自由を楯に自分の不快をぶつける行為が増えてきているために、表現が不自由を強いられるという事態になっているようにも、アタクシ、思っておりますが、どんなもんでっしゃろ……