『悪の哲学』番外編2・現代の新しい〈悪友〉

『悪の哲学』を独自に押し進めるなら、〈悪友〉についてても触れなければなりません。

「交際していてためにならない友人」

という意味ですが、一般には、

「特に仲のよい友人や遊び仲間を親しみを込めて言い方」

なんて場合に使われているかと思います。

 

対義語は〈良友〉ですが、どういうわけか世の中は〈悪友〉を好む風潮があるように思います。

 

その他、〈畏友〉というのは、「尊敬する友達で、〈芝蘭の友〉と申しますと、「よい感化を与えてくれる友」だそうです。

この辺りは世間にもありそうですが、「その友のためなら首を切られてもいいほど信頼できるとも」を〈刎頸の友〉と言うそうです。

大宰治先生の『走れメロス』が、まさに〈刎頸の友〉を描いた小説ですが、そうそう世間に転がっているようには思えないアタクシは、アタクシ自身が信頼できない人間だからかもしれません。

え?

(かもしれないではない!)

 

そうですね、今さら、信頼できない人間であることを強調する必要はありませんよね……

 

最近は、友達同士でも役割が決まっているようで、いじられキャラ、なんてのは、いじめられているようにも見えて、いじっている方と合わせてみると、なんだかいじめ行為に見えてしかたありません。

友達を表すいくつかの言葉の中に、それに該当する言葉が見当たらないと言うことは、いじられキャラなる友達は、昔は存在しなかった、ということではないかと思います。

時代が変わったから、社会が変わったから、と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、どうも胡散臭い友達関係としか思えません。

双方ともに相手を〈悪友〉と呼び合うような対等な関係ではなく、一方的な〈悪〉の香り漂う関係ではないかと思いますが、どうでしょうか……

友達のいないアタクシが言うのもなんですが……