『白竜』が京都府医大病院虚偽文書事件を扱ったら……

日本文芸社週刊漫画ゴラクに連載中の、ヤクザを主人公とした『白竜(原作・天王寺大さん 作画・渡辺みみちおさん)』は、現在、土壌が汚染された豊波市場の移転問題が描かれていますが、東京の築地を豊洲に移転する事案をモチーフにした作品であることは、明らかであると思います。

 

『白竜』では、これまでもそんな時事問題を題材に物語が作られておりますので、次は、病気を理由に収監されなかっった暴力団幹部について京都府立医大病院が検察に虚偽の回答書を提出したとされる事件が、俎上に上げられるのではないかと思います。

 

この件で、組長と親密な間柄とされた大学長は、

「親密な関係にはなく、偶然2回遇っただけだ」

と自らの潔白を主張しておられるようですが、

「そんな偶然が2回もあるか〜?」

と、疑惑の目を向けられるのが一般的ではないかと思います。

でも、この辺りを『白竜』では、組関係者が、あたかも2度も偶然があった形にして、学長を罠にはめていくような展開にするのではないかと思います。

 

そんなふうに考えますと、今回のこの疑惑、事件も、学長の言葉が真実で、偶然は、仕組まれたものだったのかもしれません。

 

物書きの神髄は、世間の見方を素直に取り入れないところにあります。

 

え?

(じゃあ、漫画になる前に、オマエが書け!)

と言われましても……

えー、神髄を弁えていることと、実際に書けるかどうかという点は、また別の問題でして……

                                  デンデン

(おい!)

NHKの落語報道

去年から、落語ブームと言われています。

今日、NHKの報道番組でも、落語ブームを特集して報じていましたが、これは誤った報道ではないかと思います。

取材した場所は、東京の落語の定席で、出演した落語家は、昨年の紅白歌合戦の審査員も務められた、人気の噺家さんでしたが、東京以外に、落語が毎日聞ける定席が存在するのは、大阪の繁盛亭だけです。

 

東京や大阪以外の地方には、そもそも落語という娯楽は存在せず、長寿番組『笑点』を落語だと思っておられる方も、いらっしゃるそうです。

 

確かに、ラジオやテレビで落語が放送されるようになり、また、人気の落語家が落語以外で登場するようになって、落語の知名度も上がった言えるかもしれませんが、そもそも江戸や上方の地方芸能でしかなかった落語について、東京の状況だけで、

『落語ブームである!』

と、天下のNHKが報道していいものでしょうか?

 

昔の天気予報では、

「いいお天気です」

と言うと、雨の振っている地方の人から、苦情が寄せられたそうです。

 

もし、

「今、落語がブームです!」

という報道に、定席はもちろん、生の落語と触れることのできない地域の人たちから苦情がないとしたら、それは天気予報ほど重要な価値を持たない報道である、ということかとも思います。

 

え? 

(いつも落語はどうじゃこうじゃと言うてるオマエが、今さら何寝ぼけたこと言うてけつかるんじゃ〜!)

 

すんまへん……

プレミアムな毎日のはず……

いよいよ明日から、プレミアムフライデーが始まるそうです。

初めて耳にいたしましたときに、

「金曜日にどんなプレミアがつくのだろうか……」

と、考えてしまいました。

 

本来の英語の意味から考えますと、金曜日の価値に割増金がつく、あるいは付加価値がつくということになるかと思いますが、なんのことはありません。

金曜日の仕事を、午後3時までにしよう、てなことのようです。

プレミアのついたチケットなら、ダフ屋が扱っていそうなものですが、どうやら国が旗を振って、一流企業がそれを扱うようで、まあ、とかく問題になっております働き過ぎの抑制と、もう一つ、消費の増加を図って経済の活性化も、お上は狙っているようです。

 

でも、改めてプレミアムフライデーなんて捻り出さなくても、アタクシなんぞはプレミアムな毎日を送っております。

ただ、残念ながら、お上の目論む経済の活性化に貢献しておりません。

毎日、プレミアムなはずなのに、付加価値も割増金もまったくありません。

これは、いったいどういうことでしょうか……

 

この矛盾を例によって例の友人にぶつけてみましたところ、

「本来、価値があるものに、割り増しやら付加やらが認められるのであって、キミの場合、最初から価値があるわけではないから、プレミアムな感じがなくても不思議ではない」

そう言われまして、

「なるほど」

と納得したような次第であり……

 

あれ?

ほんまは納得したらあかんような……

二月花形歌舞伎

演者作者として落語講談に関わっていながら、昨日、初めて歌舞伎を見に参りました。

大阪松竹座 新築開場二十周年記念 二月花形歌舞伎』

演目は、

義経千本桜 渡海屋大物浦』

『三人形』(踊り)

で、太夫の語りから音曲、大向こうからかかる声に至るまで、芝居を引き立てる音楽に感銘いたしました。

また、現代では死語と思われるような言葉、表現を耳にするだけで、アタクシ、何だかうれしくなってしまいました。

 

また、なんとなく存じておりました渡海屋の、実は壇ノ浦から安徳天皇と生き延びていた平知盛が、最後に己の身に碇の綱を巻き付け、その碇ともに海に身を投げるという有名な見せ場も目にいたしましたのも非常によろしゅうございましたが、帰宅いたしてまして、夜、京都テレビの『必殺仕事人Ⅴ』を見ておりましたら、その、知盛の最期のシーンがあり、どうしてアタシがなんとなく知っていたのかということが、わかってしまいました……

 

「落語講談に携わる者は、歌舞伎を見ておかなければならない」

とは昔から言われておりますが、別に生の歌舞伎でなくても、昔の『必殺仕事人シリーズ』でもいいのではないかと……

 

例によって例の友人は、

「キミの場合、だから残念な落語講談になっているんだ!」

アタクシ、反論いたしました。

「それは、必殺仕事人のせいではない! 能力の問題だ〜!」

 

(やっぱりそうか……)

死語になったか最後の一句

お上の御威光を時代劇で目にしておりましたころには、現代のお上に間違いがあるとかないとか、あんまり考えておりませんでしたが、森鴎外先生の、

最後の一句

に記されておりました、

「お上の事には間違はございますまいから」

という言葉に触れて、

「ああ、お上にも間違いはあるんだ……」

とちょっと思ったことがありました。

 

最近、

文科省天下りが大学の補助金とセットになっているんやおまへんか〜」

てな報道が見受けられます。

かつては、〈ゆとり教育〉と称して学習内容を減らして土曜日を休みにしたのは、

「実は教員の休日を増やすためだったんやおまへんか〜」

てなことみたいに聞いておりますが、今ではそれが学力低下を招いたという見方もされているようです。

念のために申し上げておきますが、アタクシ、決して文科省に含むところがあるわけではございません。

 

 

年金制度が危機に瀕しておりますのも、少子化やらなんやら言われておりますが、その運用の失敗は、すでに広く知られているところでございます。

 

森鴎外先生の『最後の一句』の舞台になっております江戸時代は、お上の御威光がかなり信じられていたように思っておりますが、かなうなら、お上の御威光を信じて暮らせたら、それなりに幸せになれるのではなか、とも思います。

 

これは、お上に限ったことではありませんが、

「うちの会社の事には間違いはございませんから……」

なんて言葉を口にされる方は、現代社会ではいらっしゃいません。

みなさん、言いたい放題でございます。

 

ということは、

「お上(うちの会社)の事には間違いはございませんから」

という言葉が、すでに死語になっている、ということを意味していることにもなるのではないかと思います。

つまり、この言葉が死語になっている国は、つまりは言論の自由が保証されている証拠でもあるかと思います。

 

これを、例によって例の友人に話しましたころ、

「キミは、間違っている」

仕事に遅れないタイトル

昨日の、生徒をあだ名で呼んでいた中学教員の報道で、もう一つ思いましたのが、

「生徒をファーストネームやあだ名で呼ぶなんて……」

と、思っておりますアタクシは、時代遅れの人間だということでございます。

 

このブログを、こうして毎日更新していられるのは、田舎家かかし師のおかげです。

パソコンなどの機器はもちろん、取扱説明書を読んでもうまく扱えない、あるいは仕事でも、いまだに何十年も昔に修錬した方法でしか対処できないアタシは、かかし師をはじめ、周囲の方の御助勢がなければ、生きていられません。

 

数年前にいただいた判子が、蓋をあけずに使えることに気がついたのは、今年に入ってからのことでした。

 

考えかたも古ければ、最新の機器や道具も満足に扱えない……

いうなれば、アタクシは、完全に時代遅れの人間でございます。

 

そんなことを認識させられるたびに、河島英五さんが歌われて大ヒットした『時代おくれ』(作詞・阿久悠さん 作曲・森田公一さん CBSソニー)のサビの、

「時代おくれの男になりたい」

というフレーズを持ち出して自らを慰めるわけでございますが、例によって例の友人が、

「キミの場合、とっくの昔から時代遅れの男になっている」

てなことを言いました……

なんてオチは読めてると思われた方もいらっしゃるかもしれません。

 

そんなお定まりの安易なオチではなく、新たなオチを考えなければいけないと、アタクシ、思案投げ首いたしておりましたら、なんと、出勤しなければならない時間を過ぎているではありませんか!

『時間遅れの男』

になってしまいそうです。

                                  デンデン

(思案投げ首で、やっぱりいつもの〈デンデン)か〜!)

 

そんなツッコミを入れられてオチにするパターンも……

 

ああ! タイトル、まだ、考えてへん!

親しみをこめているように思われている呼称問題

岐阜県内の私立中学校の先生が生徒に、サル、とあだ名をつけていたことが不適切であるという報道がありました。

この先生は、親しみをこめて呼んでいた、ということですが、果たしてほんとうにそうなんでしょうか……

 

昨年、西宮の先生が、生徒を、エロ、と呼んでいたことが裁判沙汰になっていました。

 

昨今、教育現場では、教師が生徒を、名字ではなく下の名前、ファーストネームで呼ぶ風潮があるようです。

より、生徒との親密度が増す、という理由があるようですが、その延長線上に、あだ名で呼ぶことがあるのではないかと思います。

 

いじめのもっとも初期の段階は、当人が不快に感じるあだ名で呼ぶ行為ではないかと思います。

ただ、不快な思いを表明されていなければ、いじめた当人も鈍感な周囲も、それがいじめだとは思いません。

 

もしかしたら、この中学の先生は、自分が中学生のころに、同様のいじめをしていたのかもしれません。

クラスメートがどのように感じているかを忖度しないまま、あだ名で呼んでいたのではないかと思います。

あるいは、それが相手を不快にしていることだと気づきながら、自分がおさえられなかったのかもしれません。

 

お互いの関係性を超えて親しくなることが善であるような空気が、今の世の中にはあるように思いますが、学校の先生の中には、生徒を下の名前で呼ぶことに異を唱える方も少なくないようです。

相互の関係性を維持したまま、節度ある親しさは、呼称に関係なく構築できるのではないかと思います。

 

こんなことを、例によって例の友人に話しましたところ、

「キミの場合、どんな関係であれ、親しい人はいないから……」

なんて言いかけましたので、

「キミが親しくしてくれているやないか」

と、申しましたら、

「違う!」