鹿島アントラーズ レオ・シルバ選手の言葉

アタクシども、シャレの世界、落語社会に住まう人間は、際どい表現を扱うことがあります。

それに対して、ワレワレの世界の住人ではない相手が不快に感じた場合、なるべく早く謝罪します。

言い訳はしません。

その点を蔑ろにする人間は、ワレワレの世界に住まう資格はない、とアタクシは思っております。

 

サッカーJリーグ鹿島アントラーズ浦和レッズの試合中に発せられた暴言が物議を醸しています。

暴言を吐いたとされる選手は、裁定が下されたあとで謝罪会見を開いたそうですが、それを受けた鹿島アントラーズのMFレオ・シルバ選手の言葉を、スポーツ報知が報じています。

「人はあやまちを犯したり、ミスを犯したり、害を与えることがあればその場で謝罪する」

「日本人に対する感謝の気持ち、礼儀正しさへの敬意は変わらない」

「日本人はお互いに敬意を持って接する」

「日本人は、文化の違いを尊重する」

と、うれしいことを述べてくださっています。

ただ、レオ・シルバ選手の言葉は、ワレワレがワレワレであるか否かを顧みることを要求しているようにも感じます。

 

もちろん、アタクシどもはバツ一でもバツ三でも、病気持ちでも、ハゲでもデブでも、一般に少数派とされる人々に対しても、そうしたことを問題にすること、あるいは感情に任せて侮蔑的な発言をすることはありません。

 

問題にされるのは、ただ一つ、〈面白いかどうか〉です。

 

「あんさん、ぜんぜんおもろいことおまへんな……」

 

アタクシ、それでいつもツライ思いはいたしますが、この言葉が暴言になることは決してありません。

面白くない、ということすら、笑いに転じることができますから……

横綱稀勢の里関の化粧回しから〜ラオウVSピカチュウ〜

横綱稀勢の里関が、『北斗の拳』に登場するラオウを描いた、新しい化粧回しを披露して話題になりました。

 

先日、経済学の先生がその話を持ち出してきましたので、

「まあ、強さの象徴ですからね」

と応じましたところ、

「そのうち、ポケモンも化粧回しになるかもしれませんね」

「さすがにポケモンはどうでしょう」

「でも、ピカチュウは、必殺技が、電光石火でしょ」

「なるほど、電光石火の早業なら、横綱日馬富士関ですね」

「でしょ、そうなると、横綱同士の優勝決定戦なんか面白くなるでしょうね」

ラオウピカチュウですからね」

「他にも、アニメのキャラクターが化粧回しに登場するかもしれません」

「ワンピースのルフィなんか、決してあきらめることなく、何事にも立ち向かいますから」

「露払いと太刀持ちの回しは、ゾロとサンジでしょ」

「でも、だからといって、国技にアニメばかりじゃ、やっぱり、許されませんでしょ」

「いや、龍だって、もとは架空の動物ですから」

「なるほど、そう考えると、別にアニメでも問題はありませんね」

「そうなんですよ、問題は、経済学の講義でこのネタが使えないところで……」

「それでしたら、アタシが使わせてもらいます」

ということで、拙ブログに掲載いたしました……

 

長嶋茂雄終身名誉監督の道徳には載らない言葉

プロ野球、巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が、来年4月から小学校5年生の道徳の教科書(教育出版社)に登場するそうです。

 

選手としても監督としても実績のある長嶋さんは、病気から奇跡の復活を果たした方でもあり、日本中に知らない人はないような感覚をお持ちの方もおられるかと思いますが、やはりマスコミの露出度の影響か、最近の若い人には知られていないようにも感じます。

 

ただ、知らなくても、この長嶋茂雄終身名誉監督の影響を受けている若い人は少なくないかもしれません。

 

たとえば、監督としてシーズン開幕前のインタビューで、長嶋さんはよく、

「優勝という二文字を目指して……」

と答えていらっしゃいましたが、意気込みを問われて、これを口にするスポーツ選手は今でも少なくないように思います。

 

たぶん、ここから、

「野球というスポーツを通して……」

とか、

「税金というお金を通して……」

とか、

「なんちゃらというほにゃららをどがちゃかして……」

という表現を使う若い人がおられるように思います。

 

長嶋茂雄終身名誉監督が道徳の教科書に掲載されるなら、いずれはメジャーリーガーのイチロー選手にも同様の可能性があるかと思います。

でも、イチロー選手の口から、

「優勝という二文字」

が出たという話を、アタクシ、寡聞にして存じ上げませんが、独自のイチロー語録は、何冊も出版されています。

 

長嶋茂雄終身名誉監督イチロー選手、あるいは日めくりカレンダーに語録が掲載されている元テニスプレーヤーの松岡修造さん、さらには、世界のトップクラスプレーヤー錦織圭選手、スポーツにかぎらず、昨今は田中角栄元首相など、独自の哲学を独自の言葉で語っていらっしゃいます。

 

そうした方の言葉を、道徳ではなく、国語の教科書に採用してもらえると、〝国語という教科〟の新たな発展が望めるのではないかと思いますが、いかがでしょうか……

三題噺・遺言状

昨日の《三題噺の会》のお題は、〈大渋滞〉〈大逆転〉〈安楽死〉でした。

 

兄・おい。

弟・ああ、兄さん。遅かったやないか。

兄・〈大渋滞〉やったんや。それより親父はどうや。

弟・うん。大重態や。

兄・そら、いかん。早う、遺言状、書き直させよ。

弟・いくらなんでも、兄さん、そんな無茶したらあかんで。

兄・無茶は親父のほうや。お母ちゃんと、わしらが一生懸命がんばって、これだけの財産、築いたんやで。それが、お母ちゃんが死んで、二年前に新しい嫁はん、もろうて、その女に財産の半分を渡して、死んだお母ちゃんと頑張ったわしらには、残った半分を二人で分けろて、そら、あかんやろ。

弟・そら、まあ、そうやけど……

兄・こら、親父、まだ死んだらあかんど。遺言状、書き直すまでは、死なさへんど(親父の胸ぐらをつかんで起こす)

父・こ、こら、何をすんねや。わしゃ、死にかけてんねやぞ。

兄・そやから、遺言状さえ書き直したら、なんぼでも〈安楽死〉させたるで。

父・安楽に死んでられんやないか。

弟・そうや。兄さん、親父の今際の際に、そないな無茶したらあかん。

兄・あ、そうや。あの女、どこへ行ったんや。

弟・あの女て、継母でも一応、わしらのおかんやないか。

兄・あほ言え。あんなもん、母親でも何でもあるかい。第一、亭主の今際の際に、どこぞへ行ってるやなんて、どうしょうもない女やないか。

母・ああ、間に合うたかいな。

弟・あ、お母はん。

兄・こら、この大事なときに、どこへ行ってたんや。(母の背後を見て)その、後ろにいてるオッサン、何者や。

母・ああ、この人な、祈祷師やねん。

兄・祈祷師?

母・そうやねん。〈大逆転〉の祈祷師やねん。

兄・大逆転の祈祷師て、そら、何や。

母・この人に祈祷してもろたら、どんなに悪い状態からでも、大逆転でようなるんよ。

兄・ほんまか。

母・昨日の阪神。9点差を大逆転したんも、この人がタイガースのベンチの裏で祈祷したからやねんで。

兄・うそつけ。

母・表通りの呉服屋はん。もう倒産や言うてたやろ。あれ、この人が祈祷したら、三日もせえへんうちに繁盛して、えらいV字回復や言うて、みな、喜んでる。そやさかいに、この人に祈祷してもろて、うちの人にも元気になってもらお、思て。

父・ああ、お前はやっぱり優しいな。

母・ほな、大逆転の祈祷、お願いします。

祈・しからば、失礼して…… おんころころせんだりまとおりそわか、おんころせんだりまとおりそわか、やあ! ……(しばらく様子を見て)あかんな。ほな、かんじざいぼさつはんにゃはらみた、やあ! ……(しばらく様子を見て)これもあかんか。(しばらく思案して、兄弟に)ほたらな、おやっさんの枕元で頑張ってる死神をだますさかいにな、わしが合図したら、布団の両端もって、ぐるっと回してみてや。

兄・それ、なんや落語の死神みたいでんな。

祈・ほな、行くで、あじゃらかもくれんせきぐんはてけれっつのぱあ! 今や、回せ!……(しばらく様子を見て)これもあかんか。

母・ちょっと、頼むさかいに、うちの人、何とか元気にして。頼むさかいに。

父・そないにわしを大事に思うてくれてんのか。うれしいな。

母・そないに喜んでくれるんやったら、一つだけ、頼みがあるんよ。

父・何や。

母・遺言状、私に全財産を譲るて、書き換えて。

                                   デンデン

あしたのジローと袋とじ

新作『あしたのジロー』(原作・森高夕次さん 作画・荒木光さん)が、秋田書店の『ヤングチャンピオン』と双葉社の『漫画アクション』に、交互に連載されるそうです。

異なる出版社が、同じ作品を交互に連載するなどということは、かつてなかったことですが、過日、『週刊少年マガジン』(講談社)も、少年としては初の袋とじを試みています。

 

毎年、姿を消す出版社も少なくないようで、他業種大手企業の傘下に入って生き延びるところもあるようです。

 

いずれも、出版業界の不振を象徴することではないかと思いますが、同時に少子化から人口減少に向かう日本の象徴でもあるように思います。

 

一方で、長く人気を博している漫画も多く、海外では日本のアニメが輸出コンテンツになっていることを考え合わせてみると、業界の縮小と捉えるのではなく、淘汰の時代に入っていると考えることもできるかと思います。

 

同一作品の二社交互連載にしろ、少年誌の袋とじ企画にしろ、淘汰の時代だからこそ、生まれた、掟破りの打開策かと思います。

 

『あしたのジロー』は、『あしたのジョー』(原作・梶原一騎さん 作画・ちばてつやさん 週刊少年マガジン 講談社)を連想させる内容のようですが、もしそうだとしたら、まさに漫画誌の、

「明日はどっちだ?」

という作品になるのでしょうか。

サワコの朝から〜岡田准一さんの教え〜

今日の『サワコの朝』(MBSテレビ)のゲストは、V6の岡田准一さんでした。

V6の…… というよりは、俳優の…… といった方が、今ではいいかもしれません。

 

岡田さんは母子家庭で育ち、自分はどんな大人の男になるのか、という自問をされていたそうです。

恥ずかしながら、アタクシ、そんなことを爪の先ほども考えたことはありませんが、

「アタシの人生はいったいなんだったんだろう……」

なんてことを考えることもありません。

おそらく、そんなことを考えるのは人間だけで他の静物はそんなことを考えることなく、ただ生きているように思いますが、つまり、アタクシは、人間よりはむしろ他の生物に近い生き物ではないかと、ふと、思いました…… いえ、なんとなくそうかな、と感じていたことが明確になったと言った方がいいかもしれません。

 

ついでに、

「自分はいったいは何者だろうか……」

と考えるより、岡田さんのように、

「自分はどんな大人に、あるいは男になりたいのか……」

を考えた方が、生きやすいのではないか、てなことも思ってしまいました。

 

さらに、

『我思う故に我あり』

なんて言葉まで連想いたしまして、

「これって、やっぱり人間以外の生き物は考えないよな……」

「でも、『我思う故に我あり』が自己存在の証明の第一になるとして、そこに不安のある人は、他者からの認知がないと生きていけないのかも……」

「もしそうだとすると、他者との関係を自己の存在認知の手段として考えることも可能で、そうなると、自分は何者かと自問するよりは、自分はどんなほにゃららになりたいかと考える方が、やっぱりよかったりして……」

「いや、それも結局はその場の凌ぎの発想でしかないのかな……」

 

「まあ、こんなふうに思考が行き詰まったときには、しばらく人間をやめて……」

なんてことを例によって例の友人に語っておりましたら、

「キミの場合、やめる前に先に人間になるべきじゃないのか」

                                  デンデン

ゴルゴ13・パート7 安全の三原則〜自由の代償〜

本日の外務省のホームページに記載されたゴルゴ13は、非常に面白く、ためになる内容だと思います。

 

安全の三原則として、

⑴目立たない。

⑵行動を予知されない。

⑶用心を怠らない。

という項目が挙げられ、これを守ることなく求めた〝自由の代償〟は、払わなければならないというお話でした。

 

近年、ストーカー殺人が発生しているとはいえ、およそ日本国内にいる限り、テロの頻発する海外に比べれば、三原則を意識する人はいらっしゃらないように思います。

それどころか、変に目立とうとする輩が目につくばかりか、今回の話の中にもあったSNSで自分の行動を発信までしています。

もちろん、そんな人は用心などしません。

 

とはいえ、かつての日本には、この三原則を守って暗躍した忍者がいましたから、昨今の忍者ブームに乗じて、こうした注意を呼びかけてもいいように思います。

ゴルゴ13の連載が終ったら、外務省は次に赤影やハットリくんなんかに出演を依頼するというアイデアはどうでしょうか……

 

ちなみに、アタクシ、目立とうとしておりますが、一向に注目されることはなく、明後日、午後二時から伝楽亭の《三題噺の会》に出演するという行動まで予告しておりますのに、アタクシが狙われるどころか、さあ、どれだけお客さんがいらっしゃるのかと心配しておりまして……

 

もう一つ、今回、注目致しましたのが、〝自由の代償〟です。

安全対策を講じることなく、自由の名の下に行動することには、リスクが伴い、場合によっては相応の代償を支払わなければならない、と言う点も、日本人には欠けていることを認識させられました。

 

これを例によって例の友人に話しましたところ、

「キミの場合、三原則は無用だね」

と言いましたから、

「それはどういうことか」

と尋ねましたら、

「代償が支払えないもんね……」

でも、今回はアタクシ、言ってやりました。

「代償は払っているよ」

「自由の代償か?」

「そうだ、自由に生きてきた代償だ」

「それって、経済的に困窮しているという言い訳でしかないだろ……」

 

ズキューン!