あの人にあいたい〜阿久悠先生の言葉〜

NHKの『あの人にあいたい』。

今日は、作詞家の阿久悠先生のインタビュー映像などが放送されていました。

 

「『あの人、金儲けは下手だけど、立派な人だよね』という言葉を聞かなくなった。上の句だけで、下の句がなくなった」

 

バブル期のインタビューでの言葉ですが、

『金儲けは下手だけど立派な人』

は、今でも耳目に触れることはありません。

 

あの頃から、世の中から立派な人が消えてしまったのか、それとも立派な人が金儲けも上手になったのか、金儲けの上手な人が立派になったのか、はたまた、世間が、金儲けの上手な人イコール立派な人という評価をするようになったのか、あるいは逆に、立派な人イコール金儲けの上手な人だということになっちゃったのか、その割には、国会で野党から金持ちを優遇する税金システムを批判する発言を聞いておりますと、やっぱり金儲けの上手な人は立派ではないような印象を受けてしまいますが、どう考えたらいいのでしょうか……

 

先日、自分の言葉で語る、というテーマで拙ブログを更新いたしましたが、阿久悠先生のように自分の言葉で語る人の言葉は、聞く者に深い思索を促します。

 

かりに、立派な人とは、聞く者に深い思索を促す人でもあるとすると、現代は、阿久悠先生の言葉に首肯くしかない人々があふれる時代になっているのだと言えるかもしれません……

 

どうでっか?

今、深い思索を促されませんでしたか?

 

え?

(アンタが金儲けが下手で立派な人でもないことがようわかった!)

「命を守る」か「身の安全を確保する」か……

九州北部を襲った集中豪雨は、どうやら収まったようですが、亡くなられた方、被害に遭われた方、そして救出を待っておられる方がいらっしゃいます。

お亡くなりになった方には哀悼の意を、被害に遭われた方にはお見舞いを、救助を待っていらっしゃる方には、一刻も早く、救出されることを願っております。

 

近年、災害が発生するかもしれない状況が想定されると、早くに警報がだされるようになり、報道各社、特にNHKでは、情報提供に、さらには避難を促す、あるいは、被害を最小限に抑える呼びかけに、時間を割くようになりました。

 

その呼びかけには二種類あるようで、もっとも差し迫った状況にあっては、

「命を守る行動」

を発信し、別に、

「身の安全を守る行動」

という表現も使っています。

 

おそらく、より強いインパクトを与えるために、

「命を守る行動」

という言葉を使っているように思いますが、この言葉に何となく違和感を持っているのは、私だけでしょうか……

 

細かいことを申し上げるようで心苦しくはありますが、

「命を守る」

場合は、誰の命かわかりにくく、むしろ

「身の安全を確保する」

という方が、まず自分自身の身を守る、ということをイメージしやすいように思います。

 

つまり、

「身の安全を確保する」

という方が、より具体的に感じられるのではないか、ということです。

 

同様に、

「命の危険」

よりも、

「身の危険」

の方が、切迫感があるように感じるのは、ずっと「身の安全」「身の危険」という言葉に慣れていたせいかもしれません。

 

どっちゃでもええやないかと言われればそれまででございますが、幸いにして、どこからからもそのようなお叱りもなく……

 

え?

(そんなことにこだわっている暇があるなら、被災されている方のために率先して何ぞせんかい!)

石破茂氏〜キジも鳴かずば撃たれまい〜

自民党石破茂氏が、昨日の石破派の会合で、

「言うべきことを言うべき時に言うか、言わないか。『キジも鳴かずば撃たれまい』と言っていると、みんな一緒に運命を共にし、日本がつぶれてしまう」

とおっしゃたそうです。

 

キジより、よく引き合いに出されるのが、ホトトギスで、

『鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

『鳴かぬなら鳴かしてみせようホトトギス

「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス

は、馴染みのある言葉かと思います。

 

ことわざや語句などに登場することはありませんが、愛好されているのが、メジロで、江戸時代から、その鳴き声を愛でる〈鳴き合わせ会〉が行われているようです。

 

一方で、いくら鳴いても注目されないどころか、不吉とされるのがカラスで、

「カラスが鳴くから帰ろう」

ぐらいに軽く扱われるばかりか、その声が聞こえると、不吉とさえされています。

 

キジかメジロホトトギス、あるいはカラスか、アタシはいったいどれに当たるのだろうかと、例によって例の友人に尋ねましたら、

「キミの場合、コウモリだね」

「コウモリ?」

「発しているのは超音波で、誰にも聞こえない」

自分の言葉で語るということ……

都議会議員選挙で敗れた自民党の候補者が、

「自分の言葉で語ったつもりだったのに……」

という敗戦の弁を述べたというニュースを見て、思いました。

「ああ、この人も、自分の言葉で語れば必ず相手に伝わるという神話の信奉者なのんだ……」

 

だいたい、自分の言葉って、何やねん!

皆、同じ日本語を使うてるんとちゃうんかい!

 

にもかかわらず、自分の言葉で話さなければならないという強迫観念を持っている方は、自分探しとか自己実現とかっていう言葉と同じ種類の記号をありがたく奉じている方と同類ではないかと思います。

どこかに本当の自分がいて、自分でなければできない何かがあるはずだ、と思っている人ほど、自分の言葉で話せば誰でも自分のことをわかってくれると、信じているようにも思います。

おそらく、自分探しとか自己実現なんて言葉に振り回されている人は、いつまで経っても自分の言葉で話すことなどできないのではないかと思います。

 

だから、逆に、著名人やら偉人やらが残した言葉を集めた本があちこちに出回っているのではないでしょうか。

著名人や偉人が残した言葉は、まさにその人でなければ出てこなかった、自分の言葉かもしれませんが、それを知っていくら披露したとしても、派手な貸衣装を着て見せているだけのようなもので、やっぱり自分の言葉にはなりません。

 

もし、ほんとうに自分の言葉で語ろうとするなら、むしろ、自分の言葉なんかどこにもないんだと悟って毎日を過ごすほうがいいように思います。

 

え?

(ほんで、毎日更新してるこのブログの、どこに自分の言葉があるんや!)

そやさかいに、毎日ブログを更新してまんねや……

 

 

山本リンダさんの不条理ソングによって明らかになったこと……

昨日、経済学の先生とお話した際、獄中から警視庁に、別の殺人に関与したことを告白する手紙を送った死刑囚が再逮捕されたという報道が話題になりました。

「良心に呵責に耐えられなくなったんでしょうね」

なんてことを申し上げましたところ、

「これで、すぐに死刑になることはなくなったんですよ。新たな事件について、改めて裁判が開かれますからね」

「ああ、なるほど、死刑が執行されるか、毎日、不安に思いながら獄中で過ごす死刑囚ですから、そうなると、少なくとも最高裁までは死刑に怯えることなく、生きていけるということなんですね」

「ほんとうに良心の呵責から過去の罪を告白したのかもしれませんが、もしそうでなかったとしたら、社会のシステムというのは、非情に不条理ものだということになりますよね」

 

先日、人間のくずとも言えるような人間を命がけで護衛しなければならないという不条理な映画『藁の楯』を見たばかりでしたから、その映画の話もしながら、世の中、いかに不条理なことが多いかということで、周囲にいらっしゃった人々も巻きこんで、かなり盛り上がりました。

アタクシ、つい調子に乗ってしまいまして、

「そう言えば、昔、山本リンダさんが歌った不条理ソングがありましたよね」

「え、そんな歌、ありましたっけ」

「もう、道理もとおらない〜🎶」

聞いていて笑ったか笑わなかったで、周囲の人々の、特に女性の年齢がわかってしまったようでした……

『水戸黄門』と『グッドパートナー』

「秘書に対する暴言問題で所属していた党を離れた某議員についてもっと……」

てなリクエストを、留五郎さんよりいただきました。

 

彼女について、友人から、

ドメスティックバイオレンスの家庭だった」

とか、カウンセラーの、

「優秀で他者がバカに見えるエリートだ」

とか、僧侶の、

「必要なのは自己と向き合うことだ」

とか、いろんな話が出ているようです。

 

いずれも、国会議員である前に、人間としてどうか、というレベルの話のようで、TBSの『水戸黄門』とテレビ朝日の弁護士ドラマ『グッドパートナー』を思い出しました。

 

水戸黄門』では、隠していた権威の象徴を見せるところがいつもの見せ場になっていますが、『グッドパートナー』では、権威の象徴である弁護士バッジを外して、

「一人の人間として……」

と、本音を語って問題解決を図るところが、見せ場になっています。

 

水戸黄門』も、お約束として最後に権威の象徴を見せますが、それまでは、やはり人間としてどうしなければならないのか、という姿勢を見せています。

 

「◯◯である前に、人間としてどうあるべきか」

という問いかけを考える出来事は、秘書に対する暴言を浴びせた議員に限らず、日常でも珍しくないことかと思います。

 

アタクシも、日頃からそんな問いが自分には必要ではないかと考えておりますので、そのためには、まず、権威の象徴がほしいかな……

 

こんなもんで、どないでっしゃろ、留五郎さん……

盛者必衰のニュース

今日のニュースの見出しは、

自民党東京都議選惨敗』

『藤井四段30連勝ならず』

敗者が主役でした。

 

もちろん、勝者である、

都民ファーストの会

佐々木勇気五段』

の名前も掲載されていますが、勝者よりも敗者に注目が集まるのは、それまでそれだけ強かったという証明でもあるかと思います。

先日のジャイアンツの球団連敗記録更新もそうでしたが、いずれも、《平家物語》の、『盛者必衰の理』

を表しています。

平家物語》自体、

「平家に非ず場ば人に非ず」

とまで豪語した平家の滅亡の物語で、そこにあるのは源氏の勝者のストーリーではなく、日本人の心にある敗者の美学ではないかと思います。

 

とはいえ、強い者に惹かれ、強者に与するのも人間ですから、敗者の美学も、基盤になっているのは、やはり強さではないかと思います。

 

先日、拙ブログにおいて、アタクシ、例の友人に、勝ちを譲る人生てな言われ方をされましたが、いくら勝ちを譲る形であっても、その実、ずっと負けっぱなしでは、美しくもなんともないということになるかと思います。

 

ちなみに、ジャイアンツの弱体化は、オロナミンCのコマーシャルに出なくなって、元気がなくなったからではないかと、アタクシ、勝手に想像しております……