手紙〜1000日後の自分へのメッセージ〜

東京羽田空港内で、『未来へつなぐレガシー展』(読売新聞社主催)が開かれているそうです。

ちょうど、東京オリンピックの開会式まで1000日ということで、リオデジャネイロオリンピックのメダリストらの、『1000日後の自分へのメッセージ』が展示されているようです。

 

未来の自分に宛てた手紙の代表と言えば、卒業式なんかに校庭の一隅に埋めたタイムカプセルに収めた手紙でしょう。

 

アンジェラアキさんの《手紙〜十五の君へ〜》(作詞作曲・アンジェラアキさん)も、未来の自分に宛てた手紙がテーマです。

 

その他、実際に半年や一年、あるいは何年か先の自分に手紙が出せるというサービスもあるようです。

 

一年後ぐらいですとそんなに自分が変わっていることはないかと思いますから、卒業式のタイムカプセルよろしく、忘れたころに届く手紙、たとえば、今の自分の状況について述べたり、将来の夢を書いていたり、あるいは今回のオリンピック選手のように、自分を鼓舞することを記したり、ただし、受け取ったころにはすっかり忘れているという内容が面白いのではないかと思います。

 

『夢をかなえて充実した人生をおくっっているキミへ……』

 

こんなことを例によって例の友人に語り、

「アタクシも、30年ぐらい未来の自分にこんな手紙を書こうかと思っている」

と告げたところ、

「30年後というと、キミ、もう死んでるんやないか……」

「いや、30年はちょっと大げさやったかもしれへんけど、手紙を書いたことを忘れているぐらいに届くようにしたいんや」

「なんや、明日届いてもええということやないか……」

〈ハゲ〉はなぜ差別用語ではないのか?

青森県の鶴田町には、《ツル多はげます会》なる、スキンヘッドばかり70名ほどが集う会があるそうです。

昨日、その《ツル多はげます会》が、『仲秋の有多毛(うたげ)』を催したと、毎日新聞が報じていました。

 

テレビやラジオなどでは、差別的な表現については、放送禁止用語として自主規制していますが、どういうわけか、〈ハゲ〉がその対象になっていないことは、某国会議員が秘書に向かって、

「このハゲー!」

と激しく罵った音声が何度も放送されたことから考えても、明らかかと思います。

 

世の中、バーコードと密かにあだ名されるような、側頭部の髪を長く伸ばして頭全体を横断させる方もいらっしゃいますし、禿頭について恥ずかしいというイメージをお持ちの方も少なくありませんが、《ツル多はげます会》のようにたくさん集まりますと、却ってそれが当たり前で楽しく誇らしくさえ思えるのではないかと思います。

 

あるいは、世間では〈ハゲ〉ではなく、〈スキンヘッド〉と横文字に言い換えておられる方も多いかと思います。

 

アタクシの友人にも、海坊主のごときスキンンヘッドのおっさんがおりますが、彼は常々、

「吾輩は、ハゲしくハゲますハゲオヤジである」

などと嘯きながら、

「心配ない。大丈夫だ」

と女性にばかり、声をかけております。

 

ハゲに限らず、自分が恥ずかしいと思っているのは自分だけで、大勢の人がそうであったり、呼称を変えたり、あるいは開き直ったりすれば、別に恥ずかしがることなんかないどころか、逆に武器にすらなるのではないかと思います。

 

そんなことを例によって例の友人に話しましたところ、

「だから、キミは恥知らずなんだよね」

「いや、アタシはハゲていない……」

「ハゲに限らず、ほら、キミはピーこととかピーこととか、いつも平気でやっているよね」

希望の一寸先

今週の『週刊新潮』の見出しが、

 

小池百合子の希望・横暴・票泥棒〉

 

アタクシも、こんな語呂合わせを考えておりましたが、なかなかうまいものが思い浮かびませんでした。

 

週刊誌の魅力の一つがここにありまして、日本語の語彙力養成にはいい教材になるように思いますが、残念ながら、表現技法の押韻だのなんだのと言いながら、学校の国語の時間に、こんな例が出されることはありませんが、これが自在に使えるようになりますと、週刊誌の編集長になれるかもしれませんし、NHKの新しい朝の連ドラを見なくても、笑いのある人生が送れるのではないかと思います。

 

それにしても、希望の党のおかげで、民進党は消し飛んでしまうは、その民進党の代表選挙で敗れた枝野さんが政党を立ち上げて代表になるは、それがまた国民の新たな〝受け皿〟になるどころか、結局希望の党に入れてもらえなかった民進党のリベラル派と呼ばれる人たちの〝受け皿〟になるは、なんてところが、面白いところかと思います。

 

神無月に入って実は希望の一寸先は闇かもしれないなんて思いながら、今夜は十五夜、きれいなお月様が見られたら幸いです。

『プレ金』代替案

いわゆる『プレ金』、『プレミアム金曜日』は、空振りに終りそうです。

 

各地で発生している過労死、過労自殺問題から過酷長時間労働を撲滅しようという意識が高まっている中で、この『プレ金』が役立つように思ったのは、言い出しっぺのお上だけだったのかもしれません。

 

クールビズでネクタイを外す習慣が定着したのは、

〈しなくてもいい〉

という発想だったからだと思います。

『プレ金』でも、

「今日はプレ金だからこれ以上仕事をしなくてもいい」

という意識になればいいようなものですが、実は反対に、

「プレミアム金曜日だから、早く仕事を切り上げなければならない」

つまり、

〈しなければならない〉

という発想になっしまうのが、日本人ではないかと思います。

 

かつてのモーレツ社員時代には、事務所の壁に、『欲しがりません勝までは』式の威勢のいいスローガンが掲げられていましたが、この手法を使うのもいいかもしれません。

たとえば、管理職の目に付くところに、

《仕事増やすな楽しみ増やせ!》

てな横断幕が貼ってあるとか、社員の机には、合い言葉集とかなんとか銘打って、

《ぼちぼち小休止!》

《今日はこれぐらいにしといたる!》

《何もかも忘れてパーッといきまひょか!》

てなステッカーが貼ってあるとか、終業時間には、

《よい子は帰る時間です》

てな放送を流すとか、あるいはこれらを社員手帳の冒頭に記すとか、そういう発想の方が効果があるのではないかと思います。

 

これを例によって例の友人に話しましたところ、

「キミの場合、そういう発想の結果、自分の人生がどうなってしまったのか、考えていないよね」

虎松の中には、いろいろな方が生きておられるようじゃの」

昨夜のNHK大河ドラマ『おんな城主』で、

「虎松の中には、いろいろな方が生きておられるようじゃの」

という台詞がありました。

 

新美南吉先生の『久助君の話』には、

「それから久助君はこう思うようになった。—わたしがよく知っている人間でも、ときにはまるで知らない人間になってしまうことがあるものだと。そしてわたしがよく知っているのがほんとうのその人なのか、わたしの知らないのがほんとうのその人なのか、わかったもんじゃないと。」

と記されています。

 

アタクシの知り合いで、大学で非常勤講師として教壇に立ちながら、祭りの露店で焼き鳥を売っているという方がいらっしゃいます。

大学の先生や学生やスタッフとの関係と、露店の関係者との交際が並立しているなんて、普通の人にはそれが理解できないことのようですが、知人の中ではしっかりつながっています。

 

同じく、昨日の日曜ワイド、水野真紀様主演の『司法教官・穂高美子⑥』(ABCテレビ)では、

「私のことを知らないで、君らしくないって、どいうことですか……」

という台詞がありました。

 

「あの人はこうだ」

と他者を決めつけるのではなく、

「あの人の中には、いろいろな方が生きておられるようじゃの」

と考えるのがいいのかもしれません。

 

もちろん、反対に、誰かの中に自分が生きている、というケースもあるかと思いますし、何より、自分自身の中に、いろんな方が生きているということが言えます。

 

これを、例によって例の友人に語りましたところ、

「その通り!」

と、珍しく全面的に肯定してくれました。

「うれしいことを言ってくれるやないか」

と喜んでおりましたら、

「でもね、ボクはそれで困っているんだよ……」

決まり文句に負けないエールを送れ!

先日、地域で子供に関わる活動をされている女性とお話する機会がありました。

 

それまで実施されていた事業を自治体が廃止しようとしていることについて、地方議員の方を通じて議会で質問してもらったそうですが、

「全体の予算配分等から検討した結果……」

てな、決まり文句で一蹴されたそうです。

 

アタクシ、下手な原稿の売り込みをいたしておりますが、

「昨今の出版不況から、残念ながら……」

という決まり文句が返ってきます。

中には、

現代社会だからこそ必要な御著書でがあるかと思いますが……」

てな言葉をつけてくださるところもありますが、

「ほんまにそないに思うてるんなら、出版してくれ」

と申しますと、ガチャ、ツーツー……

「おい!」

なんてことになります。

 

女性の断わり文句も、

「あなたはステキな人です。でもね……」

「あなたとはお友達でいたいわ」

そこで、

「ステキやと思うんやったら……」

「友達でええから……」

と申し上げても、皆さん、ガチャ、ツーツー……

 

断わりの決まり文句には、そんな気持ちはさらさらない、という意味がこめられています。

だからこそ、なんとかしようと活動を続けていらっしゃる方は、素晴らしいと思います。

 

彼女にも、エールを送ります!

 

ついでに、どなかかアタクシにもエールを……

 

ボカ! ガン! ドン! 

サワコの朝から〜矢野顕子さんの『持ってるものから出すしかない』〜

今朝のサワコの朝(MBSテレビ)のゲストは、シンガーソングライターの矢野顕子さんでした。

 

冒頭、今はアメリカを拠点に活動されている矢野さんの、アメリカにはない、日本の新聞で年齢を載せる報道に対する否定的発言で、アタクシも以前、新聞の取材を受けて最初に何気なく聞かれて答えた年齢がその記事に掲載されて、

「え?」

と、多少不快に思ったことを思い出しました。

記者にすれば当然のように思っていることでしょうが、年齢を載せるなんて一言も言われなかったアタクシからいたしますと、個人情報を聞き出して勝手に公表することになるのではないかと思います。

次からは、そんな質問には答えないぞ、と決意してはいますが、未だにそんな機会に恵まれません……

 

報じられる年齢を一つの例としながら、アメリカでは、その人の作品、活動だけが評価され、それ以外の日常は問題にされないということをおっしゃっていました。

日本でもそうだという声は耳にいたしますが、実際、そうなっていないことは、報道を見れば明らかです。

だから、自分の作品の評価を真摯に求める人は、日本から出ていくのかもしれません。

 

後半では、即興で曲をつけて歌うことが話題になりましたが、よく言えば自由に、悪く言えばはちゃめちゃにやっているように見えて、実は、

「自分の中から出すしかない」

「それまで自分が作ったり壊したりしたものから生まれてくる」

ということをおっしゃていました。

 

《作品は、自分の持っているものからしか生み出せない》

 

ということは、以前からアタクシも承知しておりますから、だったら矢野さんに倣ってアタクシもアメリカに渡って……

 

てなことを例によって例の友人に語りましたところ、

「でもキミの場合、少ない自分の持ち物を補う為に、いつも付け焼き刃で仕入れているだけだよね」