トランプ大統領の大相撲観戦希望!

アメリカのトランプ大統領が、五月下旬に来日したついでに、大相撲五月場所を観戦したいという意向を持たれているということで、観戦に向けて準備を始めているという報道があります。

 

スポーツ紙には、千秋楽で優勝力士に優勝杯を授与したいという希望があるようなないようなことが書かれているよですが、改元して令和最初の大相撲の、たとえば優勝力士が外国人力士で、その優勝杯を授与するのがアメリカの大統領だなんてことになったら、それこそ日本の大相撲の歴史にどうじゃこうじゃてな騒動になってしまうか、それとも、大相撲の国際化を喜んだりてな騒ぎになってしまうのか、物議を醸すのではないかとのアタクシの思いも、案外杞憂に終わってしまうのか……

 

令和最初の大相撲なら、それこそ天覧相撲にしてしまって、ついでにロシアのプーチンさんにもお出でいただいて、大いに盛り上げるのも一つのアイデアかもしれません。ただ、そうなると警備が大変になるかとも思いますので、だったら、たとえば幕下以下の力士が楯になって案内するてなアイデアもあっていいかと思いますが、どなでっしゃろ……

 

 

ケーシー高峰さんの御冥福をお祈りいたします。

ケーシー高峰さんがお亡くなりになりました。

日大の医学部から芸術学部に転学して、なお芸人になったという異色の経歴の持ち主ですが、医者ネタで一世を風靡されたのは、まさにその異色の経歴故でしょう。

 

手塚治虫先生もお医者様で、それがそのまま『ブラックジャック』に生かされていることは、改めて言うまでもありません。

 

山田風太郎先生も医学部に籍を置かれた方で、その小説にも医学に通じているからこそできたのではないかと思われる小説が散見できます。

 

世間では、斎藤茂吉先生も北杜夫先生もお医者で文学者です。

 

人生、進む道を途中で転換したからといって、それまでやってきたことが何の役にも立たないということはありません。

 

え?

(そりゃ、、医学部だからだろ)

てな声もあるかと思いますが、職業を転々として作家になられた方もいらっしゃいます。

 

たとえ、表面上にそうしたことが見られなかったとしても、深いところにそれは埋まっていて、本人も気づかぬところに表れているようにも思います。

 

これを例によって例の友人に語りましたら、

「キミの場合は当てはまらないけれど、実は自分の人生は無駄ではない、と皆に言いたいということだよね」

 

ケーシー高峰さんの御冥福をお祈りいたします。

日本人の闘い

カルロス・ゴーン容疑者は、新たな容疑が暴かれて何度逮捕されても否認を続けるばかりか、我が身が潔白であることをネットで流しました。

一度は任意同行を拒んでフランスに帰国した細君は、日本にもどって聴取を受けるようです。

 

日本ではときどき冤罪が問題になります。

一時、痴漢と間違われてその罪を認めてしまって、ということが社会的な問題になったこともありますが、警察の取り調べのあり方や弁護士のアドバイス(甘言?)に沿ってやってもいない罪を認めるというケースは、まだたくさんあるように思います。

 

そうした土壌のある日本において、ゴーン被告の、

「法的に問題ない。自分は無実だ」

という主張を貫く姿は、見習わなければならないかもしれません。

 

でも、そのゴーン容疑者と丁々発止と粘り強くやりあうことは、そのまま日本人の闘う姿を世界に見せているようにも思います。

 

明治以降、あるいは第二次大戦後、西洋人には引け目を感じていた日本人は、外国人になめられています。

欧米人を社長として迎える日本企業もその例に漏れないかと思いますが、この一件は、

「なめてもうたら、どんなりまへんな」

てなこととを世界に知らしめることになっているかもしれません。

 

え?

(なってない!)

 

失礼しました。

政治家としてのけじめとは何ぞや?

桜田五輪相が、辞任しました。

被災者の気持ちを傷つけた発言をしたことについて、

「政治家としてけじめをつける」

との理由だそうですが、政治家というのは、何かとあると、

〈政治家としてけじめをつける〉

と口にされますが、この桜田大臣に限らず、それで大臣だとか党の役員だとかすぐに職を退きはしますが、それですぐに政治家を辞する方はいらっしゃいません。

 

中に、陥れられたけれど選挙で改めて信を問うために辞職して当選を果たすなんて人もいらっしゃいますが、おおかたは職業を失いたくない、というところが心底にあるようにも思います。

 

政治家の他にも、警察官だとか教師だとか、高い倫理観を求められる仕事もありますが、これも日々の糧を得るための職業としか見ていない御仁も少なくないのは、その人の問題があるのではなく、人間という生命体が持つ宿命のようにも思います。

 

ですから、もし、政治家である前に、警察官である前に、教師である前に男であり女であり人間であると彼らを擁護する考え方があるとするならば、人は皆人間としてのけじめを考えなければならないのではないかとも思います。

だとしたら、大臣は政治家としてではなく、人間としてのけじめを示さなければならないのではないでしょうか……

 

などと、またしても自分のことは棚に上げて書いてしまいましたぁ〜。

 

ぼか! どす! ごん!

行ってきました『河鍋暁斎展』!

今日、兵庫県立美術館に行って『河鍋暁斎展』を見てきました。

 

幕末から明治時代にかけて活躍した浮世絵師で、葛飾北斎先生ほどにその名と作品が世の中に知られていないせいか、平日の鑑賞客はそれほど多くはありませんでしたが、一人で訪れる女性の姿が目立ちました。

 

今回の展示で面白いのは、下絵がいくつか並べられている点で、文章で言うなら、推敲の跡を垣間みることができました。

 

他に、何らかの理由で版木になり損ねた版下や北斎漫画同様、暁斎漫画なんかもあって、

「ああ、暁斎先生はほんとうに描くことが好きだったんだな……」

と思いました。

 

七歳から始めた絵を、おそらく毎日描き続けるばかりか、新しい試みに取り組もうとしていたところから、奇想の絵師、といった称号も得ておられるように思います。

 

「好きで面白くて描かずにはいられない!」

 

こういう境地になって次々と作品を生み出してこそ、天才だと言えるようにも思いました。

 

アタクシも……

 

え?

(皆まで言うな)

 

展示作品の一部を入れ替える、4月30日からの後半にも再訪できたらいいな、と思っております。

大阪都構想の〝民意〟って?

大阪都構想を争点とした今回の大坂府知事選挙、大阪市長選挙、および府議大阪市議選挙は、都構想を推し進める大阪維新の会が勝利しました。

これでまた住民投票が実施されることにあるかと思いますが、前に実施した同様の投票結果と同じになるのではないかと、アタクシ、密かに思っております。

 

イギリスが、国民投票の結果、EUから離脱することになったはずなのに、もういっぺん考え直さなあかんやろ、てなムードになっているようです。

 

イギリスの国民投票でも大阪の住民投票でも、〝民意〟を問うたはずです。

でも、〝民意〟はそのときの雰囲気によって変わるものではないかと思います。

 

「生活が今よりよくするために改革が必要だ…… けれども、実際に改革して今より悪くなるぐらいなら、今のままでいいや……」

 

という〝民意〟から考えますと、今より生活がよくなりそうな大阪都構想を推進する皆さんを応援はしますが、いざ、投票してこれが可決されたとなると、今のままの方がいいかも……

 

なんてところに落ちつくのが〝民意〟ではないかと思いますが、どないなもんでっしゃろ……

夜桜一夜

昨夜、久しぶりに中学高校と一緒だった友人と会いました。

 

どこに飲みにいくにも、今日は一杯だろうというので、一つ夜桜見物としゃれこもうやないかと、コンビニエンスストアーで飲料と食べ物を買って、外にあるテーブルを囲んで、

「こないだの同窓会はどうやった?」

「誰それは他所のお姉ちゃんと懇ろになったんが嫁さんに知られて離婚して……」

「そういうたら、あの頃お世話になったあの人も他所のお姉ちゃんと懇ろになったんがスキャンダルになって、田舎に引っ込んだらしい……」

てな話から、

「皆、お姉ちゃんにも甘いけれど、脇も甘いんや」

なんてことを友人は言いいながら、それでも、

「田舎に引っ込んだあの人のところへ行こうと思うてるんや」

と言いましたから、

「そしたら、よそのお姉ちゃんとそんなことになったことがない君より、よそのお姉ちゃんと懇ろになって離婚したあいつを連れて行く方がええんやないか」

と提案しましたら、

「それええなあ」

と賛同してくれました。

 

でも、あたくしが、

「それにしてもなんでみんなそないにお姉ちゃんにモテるんや。わしゃ、どんだけ努力してもあかんのに……」

とつぶやきましたら、

「ちょっと寒うなってきたな」

お〜い、わしゃほったらかしか……

 

坂の斜面に沿って雪崩のように咲き誇る桜を見上げながら、旧交を温めるのも悪くないなと……

 

え?

(夜桜見ながらする話やない!)

 

桜は咲いても、春とは縁なき一夜でございました……