新聞も手玉に取られるネット社会……

毎日新聞が、昨年、掲載したいじめに関する二人の少女の取り組みを紹介した記事について、少女のうち一人は実在しないという調査結果を受けて、本日の夕刊で謝罪しています。

 

少女のうちの一人が実在しないと推測できるという結論を出したのは、毎日新聞ではなく、もう一人の少女の代理人となった弁護士だそうで、

「裏付けのない記事は載せていないっちゅうのが新聞やなかったんかい!」

と思わずツッコミを入れてしまいました……

 

他の新聞でも、いえ、テレビ局でもそうしたことがあるかもしれません。

 

新聞の購買部数が減少しているのは、活字離れだけが原因ではないのかもしれません。

 

それにしても、新聞社までがネット社会の手玉に取られてしまうとは……

 

と嘆息する前に、この記事が、

『いじめ』

『少女の取り組み』

というキーワード踊らせているという点に注目するべきではないかと思います。

 

特に、

『少女』

というキーワードに踊らされてしまうのは、アタクシだけではないように思いますが……

 

え?

(オマエだけや!)

表現の自由による表現の不自由

愛知県内で開かれている国際芸術祭『あいちトリエンナーレ2019』の実行委員会が、企画展『表現の不自由・その後』の中止を決めたという報道がありました。

 

展示物を巡って抗議の電話が殺到したからだそうで、津田大介芸術監督は、

「感情を揺さぶるのが芸術なのに、『誰かの感情を害する』という理由で自由な自由な表現が制限されているケースが増えている」

と述べられたそうです。

 

多くの人の感情を揺さぶるのが芸術には違いありませんが、誰かの感情を害するのも芸術です。

 

また、芸術に何らかのメッセージがこめられていたとしても、そのメッセージが誰にどう受け止められるか、という点にまで芸術を発信する者が干渉することはできません。

 

感情を害された為政者によって不自由な表現を強いられる現象は、世界のあちこちで見受けられるかと思います。

それが、表現の不自由にまつわるイメージかと思いますが、現代の日本では、為政者がそうした意図を持って表現を制することは稀かと、アタクシ、認識しています。

ただ、表現の自由を楯に自分の不快をぶつける行為が増えてきているために、表現が不自由を強いられるという事態になっているようにも、アタクシ、思っておりますが、どんなもんでっしゃろ……

京都アニメーションが投じる一石……

京都アニメーションの放火でお亡くなりになった、十名の方のお名前が公表されました。

まだ公表されない方もいらっしゃいますが、これについて、遺族の方の同意がまだない、との京都府警の会見が報じられています。

 

これまで、事件や事故があればいち早く被害者のお名前が当たり前のように報じられてきましたが、ほんとうはそんなに簡単に報じてはいけないことなのかもしれません。

 

報じられてしまうと、亡くなったことが既成事実になってしまう……

家族としては、頭ではわかっていても、心のどこかに、

「ひょっとしたら、何かの間違いで帰ってくるかもしれない……」

そんな思いを持っているかもしれません。

それが、報じられてしまうと、亡くなったことが既成事実になってしまう……

 

不慮の事件事故で肉親を失った経験を持たないアタクシのこんな想像は、非常に失礼なことかもしれませんが、被害に遭われた方のお名前の公表について、今後はもっと慎重にならなければいけないように思いました。

 

改めて、お亡くなりになった方々の、御冥福をお祈りいたします。

 

どっちが盗人猛々しい?

日本政府が韓国を輸出管理の優遇対象国から除外する決定をしたことに対して、韓国政府は緊急閣議を開いて、文大統領は、

「加害者の日本が、〈盗人猛々しく〉大声をあげて状況を決して座視することはできない」

「我々は再び日本に負けるわけにはいかない」

などとおっしゃったそうです。

 

アタクシの認識が間違ってなかったら、韓国が輸出管理を他国同様にしっかりやっていけば、いずれまた優遇対象国となる、ということではないかと思いますが、これだけ激しい抵抗を見せるということは、優遇されないと困ることがある、輸出管理が杜撰であることを、政府も承知している、あるいは杜撰であることをいいことに、ほんとうは悪事を働いている、と解釈してよろしいということでしょうか……

 

それにしても、あちらがお使いになる言葉によって、絶滅危惧的言葉が甦るようで、その点につきましては、とてもありがたいことだと思います。

 

今回の〈盗人猛々しい〉なんて言葉も、改めて調べてみましたら……

 

あれ? これって、あんさん、御自分の国のことやおまへんか?

全国学力テストの根本的な間違い

文部科学省は、昨日、小学6年生と中学3年生を対象に実施した、2019年度全国学力・学習状況調査の結果を公表しました。

 

報道の見出しで目立つのは、

『中3英語 発信力に課題』

てなところのようです。

 

もし、発信力に問題があるとするなら、それは英語の問題ではありません。

 

たとえば、実際に出された、

『海外のあるテレビ局が「世界の子供たちの夢」というテーマで番組を収録しています。画面にある話してほしいい内容の①②について英語で話してください。

①あなたの将来の夢(将来やってみたいこと)

②その実現のためにがんばっていること、やるべきこと』

てな問題は、

「中学3年生ならみんな将来の夢を持っているよね!」

なんてことを前提にしている問題です。

「小学生のころからそんなことを何度も問われてきたけれど、将来の夢なんかない自分は、もしかしたらどこかおかしいのかもしれない……」

てなことで悩んでいる人も少なくないように思います。

 

先日、某私立中学の入試問題の解答が、過去問を売っている出版社によって違う、と指摘された方とお話しする機会がありまして、テストなんてのは、結局、作成者の思い込みによって作られたものだということを改めて認識しました。

笑わせる者の責任

吉本興業が主催する『NSCお笑い合宿』に参加するために必要な誓約書に、

「合宿中の負傷、これに基づいた後遺症、あるいは死亡した場合、その原因を問わず、吉本興業に対する責任は一切免除されるものとする」

という免責事項が組み込まれていると、朝日デジタルが報じています。

 

この免責事項自体、コンプライアンスに反する内容で無効であるとの指摘は明らかであると思われますが、ここに笑いの問題点が潜んでいるのではないかと、笑いに関わるアタクシ、密かに思っております。

 

学生時代、後輩が裸で蠟燭を体に垂らす芸をしておりまして、確かに、人を笑わせる一つの方法として、体を使う、ということはあるかと思います。

でも、そうした笑いを追究するがために、傷を負うばかりか命に関わる事態に陥いるのでは、笑えませんし、そんな笑いは刹那的なものでしかなく、そこまでして笑いたいとも笑わせたいとも、アタクシは思いません。

 

笑いは、人を傷つけるかもしれないリスクがあることを理解し、傷つけてしまった場合は、その責任をすべて負う覚悟を持つ、という覚悟を持つことが一番大事ではないか、と個人的には思っておりますから、体を使った笑いを教えながら笑えない事態になったら自己責任だよ〜、なんて、××××××××です。

ちょっと品のない非難になってしまいましたんで、伏せ字にしてしまいました……

小惑星地球接近!

近隣に嫌がられる住民から、無関係な他者を巻き込む事件を引き起こす人物には、

自尊感情の欠如と責任を転嫁する性情という、共通する条件があるようです。

 

自尊感情の欠如から他者の評価を気にすることになり、思い通りの評価が得られなければ、それは他者の責任によるものとしなければ、自分が保てないような精神状態になってしまう……

他者のせいだから、そちらに己の鬱積した思いのはけ口とするのは、正当なことである……

 

多分、どちらも幼少期からの育成が大きく関わっているようにも思いますが、おそらくそれによっていちばん苦しんでいるのは、当人ではないかと思います。

おそらく、いちばん幸福から離れたところに存在してしまっている人たちではないかと思いますが……

 

 

幸せな他者がいるのに、自分は幸せでない。

けれども他者に危害を加えてはいけないとすれば、世界の破滅を願うしかない……

という点も、こうした人たちの共通点のようにも思います。

 

小惑星が地球に接近していることに、誰も気づかなかったという報道がありましたが、誰も気づかないうちにどうして地球にぶつかってくれなかったんだ……

 

と、アタクシ、つい思ってしまいました……

おそらく、そうした人々には、世界の破滅を願う、ということも