どんなときに、人は、自分はダメな人間だ、と決めつけてしまうのでしょうか?
失敗を繰り返したときでしょうか?
たとえば、酒で人間関係をしくじるたびに後悔するのに、その後も酒でしくじっては後悔する人がいます。
ダメだと思ってはいても、その思いは、酒を止められない自分に対するもので、決定的に自分はダメな人間だという烙印を押してしまう要件にはならないと思います。
その要因は、失敗と後悔の単純な回数ではなく、他者からの承認を得られない経験の蓄積ではないかと思います。その結果、人は、ダメな人間とだという値札を、自分自身に付けてしまうのでしょう。
昨年の秋頃から今年にかけて、就職に失敗した三人の若い女性と話す機会がありました。
それぞれが面識のない三人と、それぞれまったく違う場面で会話を交わしましたが、その内容に大差はありません。
まさに、就職活動で内定を得られなかった、つまり、他者からの承認が得られなかったために、
『自分はダメな人間なんだ』
という呪詛に自らかかってしまい、社会人になるための何かが自分に欠落している……という思い込みに、三人とも囚われてしまったようでした。
でも、その話し振りから、少なくともコミュニケーション能力に問題はなく、おそらく、就職活動の方向性と、ちょっとした工夫が不足しているだけのように、私には感じられました。
わずかな時間でしたが、それぞれにそんな感想を伝えて、その業界、相手が求める人物像と単にずれていただけで、視野を広げて選択肢を増やせば、いくらでも道は開けるから大丈夫だという話をすると、三人とも元気を取り戻したようでした。
これは、就職活動に限ったことではありません。
自分はダメな人間だというレッテルを自分で貼付けたくなったら、ちょっと視点を変えて、これまでとは違う方向に目を向けて、これまでとは違う方法で物事に当たると、そんな呪縛から解放されるのではないかと思います。
たまには、ちゃんとしたブログも書けるところを見せておこうかな……なんて思っちゃいました……ハハハハハ……