逆説の接続詞は、強調したいところで使うべき言葉です。
たとえば、余計なことをしてしまったために他の人に迷惑をかけてしまい、上司に叱られたとします。
そのとき、友人に、
「確かに俺はみんなに迷惑をかけた。でも、よかれと思ってやったんだ」
と愚痴をこぼしてしまいますが、そのときの《でも》の後ろが、強調したいところになります。
たとえば、議論しているときに、
「確かにそれは正論だ。しかし、正論で人が動くとは限らない」
と言うときも、《しかし》の後ろが、強調部分になります。
どうしてその点に気づいたかと言いますと、
「あなたはとてもいい人よ。でもね、おつきあいできません」
彼女のいちばん言いたいことが《でもね》の後だということに気がついたからです。
それで、もう一つわかったことがあります。
いい人はもてない。
絶対いい人になんかなるものかと、私に決意させた接続詞でもありました。