《シネマカレッジ京都》〈脚本分析クラス〉修了リポート

《シネマカレッジ京都》〈脚本分析クラス〉の講義が終了してしまいました。

 

そこでアタシが理解いたしましたのは、以下の2点であります。

 

『女性は、パートナーに自分を理解してほしいと強く願いながら、その望みを断ち切られてはまたその願いを捨てきれない性質を持ち、その願いを諦めた瞬間から、急激にオバサン化が進行する生き物であるということ』

と、

『その切なる願いを持つ女性を、男という生き物がなにゆえ理解することができないのかと申しますと、パートナーである女性によってもたらされる現在の心地よい環境を維持したいという、ただただ自己中心的な発想から抜け出せないためであるからとうこと』

でした。

 

ということで、男と女の間には、深くて広い川が流れているという誰かの台詞が証明されたような結果に至り、それがわかっているなら、さぞかし素晴らしい脚本が書けるだろうかと言うと、さにあらず、じたばたしているだけの己の人生を、改めて見つめる仕儀となってしまいました……

 

てな話を、例の友人にいたしましたところ、

「キミが、じたばたした人生を送っているのは、人間を嘗めているからからだということが、よくわかった」