武士はことごとく刀を左腰に差して、右手で刀を抜いていましたが、左利きに生まれても、そのように矯正されたそうです。
現代では左利きであっても矯正されることはなくなっているようですが、それでも自動改札などでは、左利きの乗客を受け入れる機械は設置されていません。
現代は、昔に比して障害者への理解を深めて就業が促進されるようになりました。
また、昨今は性的少数者への理解を深めようという気運が高まっているようです。
まだまだ少数者が不利益を被っている現状が存在するように思います。
霊が見える、オーラが見えるという人たちも、少数派です。
よくも悪くも、特別視されて苦労される方もいらっしゃるかと思います。
あるいは人並み優れた能力を有しておられる方、たとえば、学校で、一人、飛び抜けて優秀な成績を収めているような方は、それがために孤高でなければならない場合もあるようです。
まだまだ少数者が不利益を被っている現状が存在するように思います。
その他大勢から抜け出して、自分らしく生きたいと願うということは、つまり多数派ではなく、少数派として生きていきたいということではないかと思いますが、にもかかわらず少数派を認めない多数派として生きている人が多いというのは、世の中の矛盾の一つではないのかとも思います。
ですから、少数派である人の多くは、自分が少数派であることを多数派の人たちに隠しているのでしょう。
でも、もし、他の誰でもない自分自身を生きようとするなら、少数派として少数派を受け入れる覚悟を、あるいは多数派の攻勢に流されない覚悟が必要なのではないかと思います。
そのためには、まずは、
「あんさん、普通のお方やおまへんな〜」
てなことを言われても喜ぶところから、さらには、少数派であろうとする人を認めて、
「あんさん、普通のお方やおまへんな〜」
と、ほめるお稽古から始めるとよろしいかと思います。
そうして、少数派として生きる人を認める人たちが多数派になることが、一つの理想ではないかと思います。
でもそうなると、少数派を認めない人たちが少数派になって少数派を認めようとする多数派から認められなくなるのではないかと……