運動会のシーズンです。

オリンピックの『棒高跳び』はありませんが、『棒倒し』とか『棒引き』とかいった、〝棒〟を使った競技は、運動会ならではの競技かと思います。

 

〈棒ほど願って針ほど叶う〉

という言葉には切なさを感じますが、休日に子供の面倒を見ていた男がデパートの屋上から落ちて〝棒〟になり、人間とは違う何者かに裁かれるという、安部公房先生の短編小説『棒』にも、ある種の哀愁を感じます。

愚直に生きて、結局すり減って手垢のついた棒になった男には、何の価値も見いだせないかのような評価が下されます。

 

運動会の競技演目の『棒倒し』や『棒引き』を目にするたびに、安部公房先生の『棒』を想起しては、運動会で使われる〝棒〟にはどんな人生があって、どんな裁きを受けたのだろうかと、つい想像してしまい、ひょっとすると〈足を棒にして〉借金の〈棒引き〉に〈片棒を担いだ〉けれど、それで人生を〈棒に振る〉結果になったのではないかという話を、〈棒立ち〉で〈棒読み〉すると、みんなに〈棒を飲んだような〉顔をされました……

 

ええと、あと、〈犬も歩けば棒に当たる〉を、どこに入れようか……