日本の絵画には『琳派』と呼ばれる人たちがいます。
特別な師弟関係によって継承されることなく、時代を超えて私淑した者に『琳派』という称号は与えられています。
かつて剣豪と称された人々は、さほど代わり映えのしない刀の振り方に、『北辰一刀流』や『柳生新陰流』などと、独自の工夫を加えて『〜流』を創始しています。
別に、誰かに断っているわけではありません。
絵画や剣術に限らず、技芸やしきたりなどを学んだ人だけがプロとして認められるばかりか、さらに新しい流派まで創設します。
日本舞踊や茶道、華道も、基本はどこの師匠に習い、新たに『〜流』を名乗れば、かりに師匠と一悶着あったとしても、それでプロになっています。
落語家にはそれぞれ屋号がついていますが、だからといって特別な流派はありません。
単にプロとアマチュアが存在するだけですが、落語のいろはを学んでどれほどプロを凌ぐ腕前のアマチュアであっても、師匠についたプロと同じように、誰ぞに落語を教えてお金をいただくこといたしません。
そんなことをすると、プロが黙っていませんから……
江戸落語では、立川談志師匠が『立川流』を旗揚げされましたが、高座を見る限り、旧来の落語と違うところはありません。
でも、落語の本質の追究を重視している流派であると言うことは言えるかと思います。
ですから、たとえば、少し変えた形で、扇子と手ぬぐいとは別の小道具を使って高座に上がり、古典や新作(創作)とは違う話、たとえば、笑いにこだわらない歴史上の武将の話なんかをすると、新しい話芸が……
(え? それは講談……)
失礼しました。
それなら、たとえば、お客様からいただいたお題を基に即興で噺を創る……
(え? それは三題噺……)
失礼しました。
ええと、ですから、『〜流落語』とか『〜流講談』とか『〜流落語××派』『〜流講談××派』とか、創設すると、プロとして生きていけるのではないかと、ひそかに考えて、
『琳派三題噺北辰新陰流』
てなもんを創設しようかという計画を例の友人に打ち明けましたところ、
「まあ、何流何派を創始するにしても、キミの場合、問題になるのは、基礎的な技量がないことだよね……」