先日、落語好きの友人から聞いた話によりますと、江戸落語の御贔屓が、大阪の人間に、
「上方落語の名人は誰か……」
と、問われて、テレビでよく見かける人物の名を挙げたところ、
「それは人気者であって、名人じゃない。名人はテレビなんかに出ない」
と、のたまわったそうです。
その御宣託を承った方は、なんとも返答できなかったそうですが、臍の曲がっておりますアタクシ、その話をうかがって、
「そしたら、テレビの笑点の大喜利にず〜っと出演されていた、先代の三遊亭円楽師はただの人気者で名人ではなかった…… 同じくお亡くなりになって久しい三遊亭円生師もテレビで落語を演じられていらっしゃいましたが、やはりただの人気者で名人ではなかった…… そういうことですね」
と言いたくなりました。
確かに、落語は下手なくせにテレビで人気を博したという落語家もおりますし、テレビで見かけることはないけれど、名人と言える噺家もいらっしゃいます。もちろん、下手でテレビにも出ないてな落語家もおられるようです。
ただ、ここで問題になるのは、名人上手と言える噺家がテレビに出るか出ないか、という点ではなく、落語通を任じるあまり不遜である己に気づかない輩の存在ではないかと思います。
これは、会社に社内評論家が存在するのと同じかと思います。
本来、落語は観客が評価する技術ではなく、お客様に笑っていただく芸であります。
冒頭の落語好きの友人も、
「私も、落語を楽しむ姿勢を、少し忘れていたようです」
と、話されていました。
ですから、アタクシの三題噺を御覧になって、上下がどうだとか、どこそこでとちったとか、かんだとか、飛ばしたんやないか、とか、おしゃらないでくださいね……
(おい! やっぱりそこか!)